yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

瞑想…いろいろ。

私がYogaを始めたのは

精神的・肉体的に強くなりたいと思ったのがきっかけだった。

 

知り合いを通して出会ったYogaは

今でいうホットヨガ、アシュタンガヨガのようなものだったが、

当時そんなカテゴリー分けは日本になかった。

もともと体を動かすことが苦手だった私は、

Yogaといっても瞑想の方に関心があった。

 

しかし縁がなく、出会うままに少しハードなYogaをすることになった。

これによって自分の身体について知ることになったおかげで、

肉体や健康について意識するようになり、

今の私がある。

 

ただ、折に触れて瞑想への思いが湧きあがった。

本を購入して自分なりにやってみようと試みたこともあった。

だが、すぐに雑念が湧いて続かず、

自己嫌悪に陥るばかりだった。

 

あれから30年ほど経ち、相変わらず瞑想への思いが湧きあがる。

ただ、キリスト教徒になってからオームなどの真言を唱えたり、

ヒンドゥー教の神やグルを賛美するのには抵抗が出てきた。

 

いろいろ調べてみると…。

あった!キリスト教的瞑想が。(次の①~③)

 

最初に始めたのは①ラビリンスメディテーション

渦巻き状の一本道を外周から中心へ歩き、また中から外側へと戻ってくる祈りの道。

 

次にキリスト教ヴィパッサナー瞑想

マインドフルネス瞑想として一般にも知られるが、

〝今、ここ〟をあるがままに、気づくこと、観察する瞑想。

もとはインドのグルから伝えられ、

キリスト教的」というのはキリスト教司祭がそこから学び、

キリスト教的にエゴを超えて〝アガぺ(無償の愛)に生きる人〟を目指す。

 

その次に③サダナ瞑想。東洋の瞑想とキリスト者の祈り。

これももとはインドのグルからキリスト教司祭が学んでいる。

 

そして、アートセラピーの先生にお誘いを受けた④シッダヨがの瞑想

(TM瞑想を始めたのと同時期にシンクロニシティが起こった!)

 

最後に⑤今続けているTM瞑想

(実は30年ほど前最初に興味を持ったのがこれだった)

昨年8月から毎日朝夕2回、20分ずつ行っている。

最初の1か月は家族3人で一緒にやっていたが、

1人、2人と脱落。

夫は夫なりのやり方で時々?やっている?らしい。

(お風呂に入りながら…とか、ね。)

 

①~③はカトリック修道院で行われている。

それぞれに特徴があり、よさがあり、それぞれの気づきがある。

 

TM瞑想は唯一個人で教えていただいたもので、

楽に座って、呼吸に集中し、ただひたすらマントラを唱えるだけ。

雑念が湧いて意識が逸れたらまたマントラに戻る。

20分間ただそれだけ。

 

雑念が湧いてどうしよう…とか、

姿勢が…とか、

眠気がやってきてどうしよう…とか

考える必要がない。

そんな自由さ、気楽さが

長く続けられる理由だと思う。

 

もちろんステップアップのための上級講座もあるが、

とりあえず、気ままに今のままやっているのが心地よい。

 

時々そこにサダナやヴィパッサナー、シッダヨがの要素が入ってくる。

それはそれとして自然に来たものは排除しない。

瞑想に関しては厳格にならず、かなり緩やかなイメージでやっている。

 

「瞑想」というと修行、苦行、辛い、痛い、足がしびれる

などのイメージがつきまとうが、

それは最初のうちだけ。

 

瞑想の静かなひと時によって、

平安と安らぎ、喜び、気づきがやってくるようになると、

そのなんとも表現できない幸福感、至福が

やめられないのである。

Let's try!