yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(6)36-42歳 a受洗、新たに生まれる。

ようやく〝この人〟と思える人に出会った。

決め手となったのは

「共に成長していきたい。」という言葉だった。

特に個性的なわけでもなく一見普通のサラリーマンだったが

物の見方や発想が面白く、質問すると新しい発見がたくさんあった。

今までこんな人には出会ったことがなく、

二人で世界を眺めれば360度の視点でいろいろな発想ができるし

自分の世界も広がると思った。

 

お金もなかったので、せめて心に残る結婚式と思い

歴史的建造物に指定されている由緒ある教会で行うことにした。

当時の司祭様は厳しく、1年間は礼拝に通うように言われた。

名の知れた教会だったので結婚希望のカップルは何組もいて

日曜日の「夕の礼拝」に集った。

顔なじみとなって結婚式が終わると姿が見えなくなる、の繰り返しだった。

そんな中彼が「昼間の礼拝に出よう。」と言い出した。

格調高い礼拝堂の前方にはとても行かれず

祝福を受けるのでさえ遠慮した。

一番後ろの隅に座ることが多かった。

ある日執事志願の青年と信徒の女性の聖婚式に参列させていただいた。

本物の教会での結婚式を目の当たりにしとても感動した。

彼はポソッと「洗礼を受けようかな。」と言い出した。

私はそこまでの覚悟はなく浮ついた気分で教会に通っていたのだが、

一人取り残されるような気がして、私も一緒に受けることにした。

このように大事なことは今までは考えに考えて自分で決断してきたが

この時は何となく流れるままに成り行きで決めてしまった。

司祭と相談する時に、結婚式は〇〇で、洗礼は△△で…などと

こちらのスケジュールを勝手に口走ってしまったら

「神様が決めることを自分で決めるでない。」とお叱りを受けた。

私たちの洗礼日は「主イエス洗礼の日」だった。

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受洗後は二人で毎週のように通った。

彼は「聖職になろうかな。」と言うほど感化されたようだ。

(転籍してから彼はほとんど教会に行かなくなり今に至っているが。)

毎週教会には多くの信徒が訪れ、朝から夕方まで残っている。

失礼な言い方だが、よほど暇なのか他に行く所がないのかと

当時は不思議に思っていた。

教会とは〝神の家族〟であり

受洗とは神の家族のうちに新たに生まれることを意味する。

私たちは新しい世界に右も左もわからない赤ちゃんとして生まれたのである。

その頃の私は時間的な余裕があったので

神様のことを知るために

日曜日の礼拝はもちろん、他の礼拝、聖書の学び、

婦人会、聖歌隊、礼拝音楽研修会、オルターギルド研修会、

刺繍の会、修道体験などいろいろな学びに参加した。

新入社員が会社のことを知るために努力するのと

同じような感覚で臨んでいたと思う。

知らない世界を知るのはいつも楽しい。

それに西洋文化を理解するにはキリスト教知ることが必須だと昔から思っていたから

尚のこと幅が広がり楽しかった。

また、これまで模範となる指導者に憧れ追い求めていたが

人間の中に全てのそれを求めるのが難しいことにも気づいた。

キリストこそ〝神の生きたみ言葉〟であり、

私にとっての模範であり、神様へと導いてくれる人なんだ

ということにも気づくことができた。

以来指導者を求めなくてよくなったから、この気づきも救いとなった。

何か問題が起こった時は

神様を基準に、神様の視点に立ち返ればよいことも分かった。

司祭様もいろいろなタイプがあるが

私が最初に出会った司祭は〝霊性〟を大切にされる方だった。

この点で私は大いに魅かれた。

幼少の頃の印象とは全く違う捉え方でキリスト教への関心が高まると共に、

自らのあり方を見直すこととなった。

礼拝の祈祷書にある言葉の一つ一つに

これまでの人生がどれほど傲慢でおごり高ぶっていたかを知らされた。

かつてカシミールの山で自分の穢れを認識させられたが、

ようやく神様の前で本当の自分の姿をさらけ出し

懺悔し、新たに生かされるという歩みを始めることとなった。

そして、日々、一週間毎、一年毎の教会の暦の中で

キリストと共に歩むことの喜びを知ることとなったのである。