yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

修道院とわたし。

修道院というところは

一般的にはなじみのない場所だと思う。

厳しい、閉鎖された空間を思い浮かべる方も多いだろう。

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私はなぜか昔から修道院に魅かれた。

子どもの頃は近所のプロテスタント教会の日曜学校に通っていたが、

キリスト者だったわけではない。

 

高校2年生の修学旅行で北海道のトラピスチヌ修道院を訪れた。

この世で生きることが困難に思え、

いっそのこと、この塀の中に助けを求め、

このまま修道院に入って、

神様だけに仕えることができたら…と強く思った。

 

20代の頃、会社の先輩とニューヨークを旅した時のこと。

ハーレムの北にある

メトロポリタン美術館の分館クロイスターズ美術館を訪れた。

中世の修道院をもとに建築された

回廊とハーブ庭園のある美しい美術館である。

ニューヨーク郊外にこんな別世界があるとは…。

 

バブル絶頂期、仕事もやりがいがあり、

充実して楽しい頃だった。

 

しかし、どこか心の底で〝何か違う〟と感じていたのだろうか。

ハーブ庭園を眺め、回廊を抜ける風に吹かれ、

館内を流れるグレゴリオ聖歌にとても癒された。

〝このままずっとここにいたい…〟という感じだった。

 

結婚を機にキリスト者になってから、

教会に貼られていたポスター

〝修道体験をしてみませんか?〟

というキャッチコピーに魅かれ

2003年に4泊5日の体験をすることになった。

(修女様もご高齢でおそらく最後のチャンスだったと思う)

 

観光目的で海外の修道院を訪れることはあったが、

日本の身近なところでの修道体験など初めてだった。

(この時の体験談はまた別の機会に)

 

4泊5日も修道院で過ごしてみると、

今まで非日常的な空間に思えていたものが、

特別なものでなくなってくる。

生活の一部のように馴染んでくるのだ。

 

それ以後、機会あるごとに

黙想会、瞑想会、講座、時には礼拝に

いろいろな修道院を訪れるようになった。

 

その空間に身を置くだけで

ホッとしたり、

落ち着けたり、

本来の自分を取り戻せるような感覚があった。

 

修道院は私にとって

特別な場所のように感じていた。

 

先日ヒーリングを受けた時に、

今世の自分に最も影響を与えている過去世が、

〝修道女〟だったと言われた。

しかも、とても厳しい修道院の、一番上の教師の立場の人。

 

やっぱり…ね。

自分でも薄々感じていたので、特に驚かなかった。

 

過去世で修道院に入った理由は、

とても若い時に流産または堕胎で子を失い、

その罪の思いを抱いていることからだったという。

今世ではやり残したことをする必要があった。

 

つまり、pikarinを育てること、のようだ。

 

これにはさすがに驚いた。

そんな思いを抱いて今世に来たとは!

 

…が、納得。

pikarinが特別な存在であるのも

うなずける気がするのである。