存在そのものを感じる時。
pikarinがシュタイナー学園の入学面談を受けた時のことです。
子どもと親は別々になり、
子どもたちは何人かのグループごとに集められ、
お絵描き、その他の行動観察がありました。
その後両親の面談があります。
その時に担当された男性の先生から言われた言葉が
深く印象的でした。
「お子さん(pikarin)の存在は、本当に美しい。
何というか、涙が出るほどに美しいです。」
言われた私も涙が出そうでした。
こんなにも〝美しい〟という言葉で
pikarinを表現してくれるなんて…。
その美しさをどこか深いところで感じている私にとって
それを一瞬で感じてくれる人がいるとは…。
〝美しい〟とは魂が美しいということなのでしょうか…。
いきなり当日の朝、自分の髪を切りだし、
髪型はメチャクチャ虎刈りだというのに。
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今朝pikarinを特別支援学校のバス停まで送りに行った時、
1年ぶりに、同じバス停から乗る女の子Hちゃんに会いました。
(pikarinは長らく不登校だったので)
pikarinの姿が見えると、
飛び跳ねて喜んでいる姿が遠くからでもよく見えました。
pikarinと会えるのをずっと心待ちにしていたそうです。
Hちゃんは初めて会った時から、
pikarinを慕ってくれていました。
また、小学校の支援級時代もpikarinの人気は絶大でした。
一部のお母様方からは、
pikarinと同じ学校に入れたい、
pikarinがいるから心強い、
そんな声も聞かれます。
先日私のヒーリングをしてくれたヒーラーさんからは
〝天使〟とも言われました。
(子どもはみな天使と言ってしまえば、そうですが…)
幼稚園の先生も〝光の子〟と表現していました。
今までいろいろな人と出会う機会がありましたが、
一瞬でpikarinの本質を感じてくれる人に
時々出会います。
ある人はクリスタルボウル奏者だったり、
グレゴリオ聖歌の研究者だったり…。
彼が何かしたわけでも、
特別な会話があったわけでもありません。
きっとpikarinの存在そのものから
発しているもの、
何か感じられるものが
あるように思います。
pikarinが赤ちゃんで一緒に寝ていた頃は、
なぜかいつも隣に仏様がいるように感じていたのを
思い出します。
母である私は
長年身近に居過ぎてわからなかったり、
またこの世的な別の視点からしか見ていなかったりで、
このところ感じにくくなっているかもしれません。
pikarinの存在としての美しさを
もっともっと感じることができたら、
ベタベタ大好き坊やも
なくなってくるかもしれません。
世の中の一人ひとりの存在を
こんな風に感じることができたら
人との関わりがもっと豊かになるでしょう…。
そんなことを教えてくれているのかも。