yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(5)29-35歳 a.Yogaとの出会い。

全てを失った気がした。

自分から言い出した身勝手な離婚だったが

同時に仕事も失ってしまったのは辛かった。

以前の職場に復帰できる可能性もなく

どうしてよいか分からず身も心も放心状態だった。

実家に戻ることができたのは本当にありがたかった。

しばらくの間、自分の心に問いかけ何がしたいかを考えた。

 

何もなくなってしまったのだから

この先後悔することのないように生きようと思った。

一つは服飾のことを学ぼうと思った。

既に何度か諦めたが、挑戦してみようと思った。

もう一つは身体と心を鍛えようと思った。

精神的に強くなりたいと思った。

〝健全な精神は健全な肉体に宿る〟

身体を鍛えないといけないと思った。

小学校の時から体育の成績だけはダメだったので

運動らしくない運動で精神統一できるものを考えた。

気功・太極拳、ヨガが思い浮かび、

インド好きでもあったのでYogaを選ぶことにした。

 

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当時既に瞑想に興味があり、静的なYogaを探していたが縁がなかった。

知人からの紹介で出会った所は

瞑想とはかけ離れたフィットネス系の身体に働きかけるアメリカ経由のYogaだった。

体験に入ってみると

隣の60代と思われるおばさまが難なくできているポーズが全くできない。

愕然とした。

今まであまりにも身体的健康に気を留めずにきた結果だった。

 

インド人の先生に言われるまま他に候補もなく、その教室に入会した。

今でこそYogaブームでいろいろな流派も登場し選択に困るほどだが

当時は「えっ、ヨガ?大丈夫?怪しいんじゃない?」と

10人中10人に必ずといってよいほど言われた。

オウム真理教の影響も大きかった。

私が通っていた所は、ガラス越しに見えるオープンな明るいスタジオだったから

怪しいイメージは全くなかったのだが…。

石油ストーブを2台点けて室温を40度にしていた。

今のホットヨガ(当時はそんな言葉もない)の先駆けだった。

緩やかに自分のペースで進めるつもりが

有無を言わさず強引な先生に毎日来るように言われ

従うよりほかなかった。

休むと電話で呼び出しがかかり「今カラ来ルヨ!」と言われる。

行ったら超ハードな1時間半のレッスンが待っている。

その上、「痛い」「辛い」などと口にしてしまうと

「痛イノハ生キテイル証拠。

 アナタ甘エテイル!人生ソンナ甘クナイヨ!

 神様、手、足クレタ。頑張ラナイトダメヨ!」

 と他の人の前で言われ続ける。

まだ心の傷も癒えていない私には

これでもか、というほど堪えた。

何で自分のお金を出して来ているのに、人の人生に関与しいろいろ言われ

肉体的にも精神的にも辛い思いをしながらYogaをやっているんだろう…?

やめてしまおうか、と思ったが

言われ続けた挙句辞めるのは、根性無しのようで癪だし

当初の目的〝鍛える〟から逃げてしまうことになる。

そんなわけで試練の日々が始まった。

そのうち、強烈で個性的なキャラクターに魅かれることになる。

インド人が皆この先生の様だとは思っていなかったが

国の違い、独特な考え方、価値観が私にとって未知の世界だった。

 

初めに愕然としたように身体も硬く筋肉もなかった私だったが

続けるうちに身体は確実に変化した。

身体はもちろん柔軟になったが、

身体の各部分の繋がり、自分の弱い箇所、関節の可動範囲など

自分の身体に関心を持つようになった。

変化するのが面白かった。

身体ってこんなに変わるものなんだ!

また汗をかくことが初めて〝気持ちいい〟と感じた。

脚から汗が流れるような運動をしたことがなかったし、

汚い話だが老廃物(汗)がここまで匂うことも体験したことがなかった。

スタジオに来る前はレッスンのきつさを思うと行くのをためらうが

終えた後の爽快感が大きく、

スキップして帰りたいほど身も心も軽くなり、羽が生えた気分である。

 

「アナタ、ヨガ学校ヤメテモイイケド、Yogaヤメナイデ。一生ノタカラ。」

と言われたが、その通りだった。

今もその言葉が残る。

細々ながら時々自主練を続けている。