バイオグラフィーワーク(4)22-28歳 c旅と出会う
この時期外国にもよく行った。
狭い日本の価値観の中にいたくなかった。
世界は広い
もっといろいろな人、文化に出会ってみたいと思った。
初めて外国に行ったのは大学3年生の時。
デザインの研修を兼ねた3週間の大学主催の学生ツアーだった。
ロサンゼルス郊外のデザインの大学の寮に宿泊した。
いきなり3週間の外国
しかも一人でブラブラ歩けないロサンゼルス。
この時の印象は、何しろアメリカのスケールの大きさと
夜の街のゾッとするような恐怖
いつ殺されてもおかしくないと思った。
次に行ったのは、学生時代の親友の父上が赴任していた中国返還前の香港。
単身赴任なのにベットルームが4つもある贅沢さと
雑多な騒々しさ。
私には目にも耳にもうるさく精神的に休まらなかった。
その後もヨーロッパ、アメリカ、アジアなど
ツアーもあったが、都市を中心にした目的のある個人旅行が多かった。
なかでも最も衝撃を受けたのは
インド北西部カシミール地方の山岳寺院を巡る旅だった。
その源流を訪ねてみたいと思い、
チベット仏教発祥の地であるラダック地方に行った。
もともとインドは装飾的な美しさと精神性が好きだったが
派手な色彩のヒンドゥー教は私にはしっくりこなかった。
ラダックは他のインドの地域と全く異なる仏教文化が息づいており
インド人さえ知らない未知の世界である。
場所もさながら寺院巡りの旅であるから
誘う友達も思い当たらず、初めて一人でツアーに参加した。
まだ秘境ブームにもなっていない30年近く前のことだが
マニアックな旅行会社が存在するものである。
約2週間の旅の友は画家、雑誌編集者、仏像が趣味の人など
年齢、職業も様々な個性的な人たちだった。
高度4000mに位置する寺院、
夏でも夜は厚手のセーター、昼間は30℃の寒暖の差、
岩だらけの土地と村のわずかな水と緑の木々、
美しい少年修行僧の瞳とかわいらしい少女の笑顔、
皺が刻まれた若い女性の顔、
人懐っこい市場の人たち…。
神々しい山々と青い空、雪を頂く真っ白な山。
空と山がこんなに接近しているなんて…。
別世界だった。
昔の人が山に神が宿ると信じるのもわかる気がした。
本当に神様がそこにいるようだった。
その中に身を置いた時、
私は自分の穢れた身に吐き気がし
表面にこびりついたものを削ぎ落したい衝動に駆られた。
でも簡単には落とせない。
張り付いていたし、体の中まで入り込んでいたものもあった。
世の中の欲を知らず知らずのうちに身につけ奢っていた私は
自分の汚さとここまで堕ちてしまった自分に対する嘆かわしさで
胸が締め付けられるような感覚を味わった。
純粋だった私はどこに行ってしまったんだろう…。
私は何を求めて生きているんだろう…。
大自然の力は偉大だ。
この時の圧倒されんばかりの神々しさに
私はその場にいるのが恥ずかしくなり、消えてしまいたかった。
このままの自分ではいけない、改めなくては、
と心に誓い日本に帰ってきた。
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と、衝撃的な体験をしたはずが
現実世界に戻るや否や、脆くも改善できず同じことの繰り返し。
36歳以降再び気がつくことになるのである。