yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(2)8ー14歳~d夢はファッションデザイナー

我が家は父が4男1女の長男だったため祖父母と一緒に住んでいた。

お正月などは形式的に親戚一同が集合する。

お酒も飲めない家系で、羽目を外すこともなく

食事とお茶、話も堅苦しかった。

私と妹は料理の準備、配膳、片付けなど

いつも母の手伝いをさせられた。

他の従弟妹たちは幼かったので遊びに来るだけだった。

私は親戚の叔父叔母と話をすることも苦手だったが

長男の長女ゆえ、皆から注目されていたように思う。

何を注目されていたか…?

といっても、もっぱら学校の成績や進学のことばかり。

そういう価値観が嫌だったし

事細かに聞かれるのはもっと嫌だった。

 

一方母方の親戚は四国で小学校時代よく行った。

こちらはもう少しおおらかな南国らしい雰囲気があった。

母は5男1女の長女で、こちらも叔父叔母がたくさんいた。

従弟妹がなかなかできなかったので

私と妹はよく遊んでもらえた。

 

どちらの親戚の中でも

子ども同士遊ぶのではなく大人の中で育った。

私は大人たちの会話を聞きながら

大人たちの世界を注意深く観察している子どもだった。

特に学歴、職業、社会的地位、周囲からの見られ方など

大人たちの価値観に疑問を持ちつつも、

世の中のしきたり、考え方、振る舞いなどを身につけることとなった。

 

会話にはなかなか入っていかれないので

いつも絵を描いていた。

「絵が好きなのね。」と言われ

自分でもずっとそう思っていたが、

大人になってからそうではないことに気がついた。

いつも女の子の絵を描いていて、

そのいろんなシチュエーションで女の子を飾ることが好きだった。

こんな場面で、こんな服を着せて、

バッグや帽子をコーディネートして、

ヘアスタイルはこんな風に…。

そう、絵が好きだったのではなく

ファッションデザインが楽しかったのだ。

登場する女の子は自分の理想、憧れの投影だったと思う。

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母の弟に一般的な男性と違う個性的な叔父がいた。

男の人なのに女性的なおしゃれをし

独身で住むマンションの家具のセンスも素敵だった。

パリを愛し、「優~雅に!」がモットーで

話し方や歩き方、身振り手振りも独特だった。

絵も上手で、時々女の人の絵を描いてもらうのが好きだった。

子どもながらに、変だな~と思ったが

美しいものを愛するその感性には魅かれるものがあった。

 

私は普段自分が着る服も考えに考えて選んでいた。

今日は〇〇があるから、今日は△△へお出かけだから、

とその場にいる自分をイメージして決めた。

でも母から見ると

トンチンカンなコーディネートだったり

センスがないように思えるらしく

出掛けに着替えさせられることもしばしばあった。

そんな時は、自分の思いが踏みにじられ

機嫌が悪くなり、行き渋ることになった。

母は人からどう見られるかをいつも気にしていたし、

自分の思いも強かったので

私の主張は通らなかった。