yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(4)22-28歳 b欲と自己実現

我ながらこの転職作戦は絶妙だと思った。

社員ではなかったが、既に結婚も決まっていたし

それなりの身分は保証され

仕事の内容は以前よりも希望の職種に近く

何より職場の雰囲気が明るく、華やかで、活気があった。

面接してくれた2人のうち

女性の課長補佐の方はカメラマンでもあり

少女漫画「エースをねらえ!」のお蝶夫人彷彿させる

家柄のよさと、美しさ、華やかさ全てを兼ね備えた人だった。

既婚者でもあり、私の目指すキャリアウーマンの理想そのものだった。

〝こんな素敵な人と一緒に仕事ができる〟

私はそれだけで嬉しく、仕事をする意欲が再び湧き上がってきた。

こんな願いが叶ったのも

大学時代の友人を通しての紹介からである。

本当に感謝!

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仕事は朝から鳴り続ける電話の応対、打ち合わせ、社内でのやり取り、

合間にデザイン ラフ作成、超多忙な日々だった。

14歳年上のその憧れの人女性は断トツだったが

同じ部内に魅力的な人は男女共にたくさんいた。

育ちの良さの上に立つ幅広い知識と教養、センス。

話をしていて心地よかった。

家柄は自分ではどうしようもできないが

少なくとも対等に話ができるように、身につけるものは努力し獲得した。

またデザインについての専門性においては

部内では課長と私だけだったので、それに恥じないよう努力した。

中身だけでなく服装髪型でも自分を表現するようにしていた。

また外部の広告代理店の人やデザイン会社の人との関わりもエキサイティングだった。

美大をもっとエスカレートさせた感じで

当時〝ギョーカイ人〟と言われた最先端の人たちだった。

私はこの人たちとも対等であるべく、話題や情報収集を怠らなかった。

無理して頑張っていたというより、それ自体が楽しいことだった。

自分の世界が縦にも横にも広がっていくように感じた。

 

当時は日本のバブル絶頂期でもあった。

私はDINKS(ダブルインカムノーキッズ)を謳歌

企業の傘にぶら下がって

今なら絶対に得られない贅沢なよい思いをしていたのである。

私は自分の実力ではないのに

自分の実力と勘違いしていた部分も多かったと思う。

仕事上の立場で優遇されていただけなのに

感覚が麻痺し傲慢になっていたと思う。

それでも過去の劣等感を打破し、自己実現に向けて努力し勝ち取っていった。

同時にルドルフ・シュタイナーのいうアーリマン(悪)に取り憑かれ

欲が増大していった時期である。

出張で海外に行き、高級ホテルに泊まり

話題のレストランで食事をし、生の芸術を鑑賞し、

TAXIチケットで深夜に帰宅し…。

若い者が尋常ではなかった。

成り上がり的に自分の実力や努力によるものというよりは

時代の風潮に運よく乗っかってしまったのである。

 

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後に傲慢さについては悔い改めることになるが、

この頃の経験は私にとってはとても意味があったし

得難いものだった。

ある意味、欲も自分を成長させる原動力となった。

憧れるような人たちとの出会いは

今も私の記憶としてキラキラ輝いている。