yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(6)36-42歳 c出産時の思い

pikarinを出産したのは39歳の時だった。

当時は夫と二人でアパート住まいで

出産をどこでどのようにするかいろいろと考えた。

その頃夫は転職続きで一つの会社に安定せず、出産費用も心配だった。

pikarinの不安感はこのような妊娠時の影響もあったかもしれない。

 

私も初めてのことで、住み慣れた土地でもなく、産婦人科医院も知らないので

最初は比較的近くの総合病院の産婦人科で定期検診を受けていた。

いろいろと出産・子育てについて調べていくうちに

自然育児に興味を持つようになった。

本来出産は病気ではないし、昔は自宅で出産していた。

私は入院の経験がなかったし、病院には何となく抵抗があった。

妊娠7カ月に病棟の部屋を案内された時に、

何か違う…と思ってしまった。

かねてから助産院についても調べていたので

住んでいる場所から自力で行ける助産院を訪ねてみた。

身近な友人で助産院で出産した人はなく、未知の世界だった。

温熱療法、食事と母乳の関係、歩くことの大切さ、Oリングテストなど

人間が本来持っている自然治癒力を強く信じている私には

どれも興味深い話ばかりだった。

多少の不安はあったが自分を信じて助産院に切り替えることにした。

 

出産後は自宅に戻ることも考えたが

初産でしかも高齢出産でもあったので

自分自身の身体がどうなるか想像できず心配があった。

そこで世間に倣い実家にお世話になることにした。

 

f:id:hoshinopikarin:20201002220957j:plain

幸い出産は超安産だった。

出産後身体を整えてもらい、12畳くらいの畳の部屋に

pikarinと二人、布団に横たわっている。

いきなり二人きり。

突然目の前に現れた生き物。

泣き出すとどうしてよいかわからない。

抱き方すらよくわからない。

おっぱいも布おむつの交換もおぼつかない。

もちろん助産婦さんが丁寧に教えてくれたのだが

夜中に呼び出し起こしてしまう始末だった。

食事も初めは薬草茶のみ、その後は助産婦さんのお母様が作るお粥をいただいた。

その助産院は一軒家で、毎日少しだけシャッターの下から外の光が入る。

外の風の音、木々の葉が触れ合う音、鳥の鳴き声…。

畳に敷かれた布団がどこか懐かしさを感じさせた。

静かに横たわっているだけの5日間。

よその家なのに落ち着ける場所。

今まで味わったことのない感覚だった。

 

4月中旬まだ外は肌寒かった。

実家では私とpikarinのためのスペースを用意してくれた。

新生児には光が眩しいので窓は全開せずあえて薄暗くしてもらった。

食事も野菜、海藻、ご飯中心の質素なものでよかったのだが

母は力がつくようなものを出してくれた。

入浴・洗髪も母体の身体的回復のためには30日ほど控え

身体を拭くにとどめた方がよいのだが、

常識的な発想では衛生面を優先するので、母には強く勧められた。

初めは2週間ほどの滞在を考えていたが

私の自然育児方法を受け入れ難い感じを受けたのか、

pikarinが絶えず目を覚まし泣き続けるせいなのか、

最初の3日間くらいで息苦しくなってきた。

リラックスできないのである。

ゆったりとした気分になれず、

pikarinと私が申し訳なく居させてもらっている様に感じてしまった。

何でこんなに苦しいんだろう…。

実家だというのに…。

私はこんな風に感じる自分のことがショックだった。

一般的に娘なら里帰りしてのびのびできるのだろう。

そう思っていた。

なのに私は実家にいるのが息苦しい。

幼少の頃から感じていた窮屈さ、束縛感は

自己啓発セミナーやこれまでの自分の努力で突破したはずではなかったのか…。

この年になってもまだ過去の思いに囚われているのか…?

早く自分の家に帰りたくなった。

狭くても自分自身でいられる場所、自分の思う通りにできる場所に。

 

せっかく準備し滞在させてくれた両親には申し訳なかったが

5日間ほどで帰宅することにした。

 

私、未だ変わることができていないんだ…。

この時の気づきは本当にショックだった。

実家が苦しいなんて…。涙が出てきた。