yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(4)22-28歳 a初めて社会に出る

大学に入って

また美大受験予備校の助手アルバイトで後輩の指導を通して

かなり積極的になったように見えた。

でもまだまだ私は劣等感のかたまりだった。

〝自分を変えたい〟という思いは昔からとても強かったが

周囲からの固定概念の目の中では

今まで自分で変えられる範囲に限界があった。

全く自分のことを知らない会社の中に入る今しか

新しい自分を打ち立てるチャンスはないと思った。

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就職先を考えた時、

幼少よりファッション関係に憧れのあった私は

当然アパレル会社も考えた。

私が希望した当時流行ブランドの小規模なアパレル会社は

父の目には不安定に思え、あまり好ましくない様子が見て取れた。

ここでも自分を通すほどの意志はなく大企業を選ぶことにした。

幸い大手印刷会社に決まり、3か月くらいだったか長い新人社員研修が始まった。

この頃男女機会均等法が施行され女子に総合職の門戸が開かれて

何かと視線が注がれた。

おまけに印刷会社は男性の割合が多かったので、女性は注目の的だった。

そんな時代背景と〝積極的でありたい自分改革〟が重なって

今までの自分の殻を破るべく

とんでもないパワー(今考えても恐ろしいくらい)で突き進んだ。

自ら進んで手を挙げ100人以上の新人の中で5分間スピーチをしたり、

女子の中にかたまらず、

何しろ男性と同等以上にみられるように、

やる気を奮い起こしていた。

 

人事部に注目されたのか、運悪く

デザイン系採用8人のうち、1人だけ別の事業部に配属。

それでもなおかつ他事業部まで顔を出し

ネットワークを広げるために奔走していたら

会社で一番の得意先の専属チームに配属となった。

専属チームなんて聞こえはいいが

本社ビルでもなく、所属する事業部からも離れたビルの一室。

社員は私を含め4名で、他はデザイン会社の出向者。

みんな3方の壁に向かって仕事をしている。

私の苦手な容姿の課長と女性っぽい物腰のソフトな男性の間に

私の机がある。

部屋は什器、ディスプレイ、段ボールがあり空気が重い。

みんな夜遅くまで残業で

食事(といっても居酒屋)をして再び仕事に戻る。

この重苦しい雰囲気に耐えるのは毎日苦痛だった。

新入社員だったので要領も得ず、さっさと帰るわけにもいかない。

隣の席のソフトな男性は見かけによらず、

感情をあらわに朝から机に書類を投げるようにバサッと置いたりする。

私が何か気に障ることをしただろうか…?

仕事に感情を持ち込むなんて最低だ!と思いながらも、

後に親しい話し相手となったから不思議なものである。

 

そんな中で会社に入ってから我慢の日々が続いた。

理想の職場なんてない、と自分に言い聞かせていたが

楽しそうな同期入社の友達を見ていると

不遇を嘆きたくなった。

あの恐ろしいほどのパワフルなエネルギーはどこへ行ってしまったのか…。

この時自覚はなかったが精神的におかしくなっていたらしい。

帰宅時夜遅くコンビニでお菓子を大量に買い毎日のように食べていた様だったし、

得意先との打ち合わせに同席していて居眠りすることも多々あった。

営業担当の方たちが心配してくれたが、デザイン部門は重苦しいままだった。

気力は失せ、頑張る力がなくなった。

父は逆境に耐え、我慢で勝ち抜いた人だったが

私は小さい頃からそんな父を見ていて

勝利を得たとしても我慢の人生は送りたくないと思っていた。

せっかく努力して入った会社だったが、

さんざん考えて辞める決意をした。

この頃はまだ終身雇用が一般的で、転職はあまりよく思われていなかった。

転職するにしても、両親の手前間が空くのはよくないと思い、

用意周到に事を進め、土日休んで月曜日から新しい会社に勤め始めた。

契約社員の身分ではあったがこちらも大企業だった。