yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(5)29-35歳  b暗中模索の時代

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Yogaでどうにか支えられたものの、

この頃の私は自分がよく分からなくなっていた。

再挑戦と思い服飾を学んだはずが、

いざ就職となると初心に戻っての新入社員としての心構えは

大学卒業後のそれとは違っていた。

一度バブル期の企業の中で甘い蜜を吸ってしまうと

謙虚な気持ちで臨むのが難しくなった。

 

服飾の専門学校を終了し

学校に求人がきていたオートクチュールのアトリエで

アルバイトをすることにした。

狭いマンションの一室に恐る恐る一歩踏み入れた途端

やっぱり帰ろうかという気持ちになった。

出てきた男性デザイナーの先生は

軽いノリで、言葉遣いは女性っぽく、

服装は奇抜、幼少期は芸能界育ちという

何とも形容しがたい個性的な人だった。

ところが不思議とお客様は財閥や大企業の重役のご婦人方で

全く宣伝もしていないのに紹介で来られるのだった。

毎日その一室で、先生ともう一人私より年下のアルバイトの女の子の三人。

忙しい時は先生の奥様が手伝いに来る。

女の子は手先がとても器用で手縫いの仕上げが本当に美しかった。

私は今まで周囲から器用だと言われ、自分でもそうだと思っていた。

この女の子を前にすると、練習してもヘタクソだった。

多分アイデアやセンスでカバーしていたのだと思う。

器用でないことは私をとても落ち込ませたし、自信をなくさせた。

先生は私のことをプライベートに至るまでいろいろな角度から聞いてきた。

衝撃的な暗い過去を持つその女の子は

常に悲観的、厭世的な物の見方をしていて

私と先生の話を聞きながら、

グサッと暗く突き刺すようなことを言う。

何だかこの空間も心地よいものではなかったが他に行く先もなかったし、

先生のデザインセンス、アイデアの素晴らしさに魅かれていた。

ボタンに刺繍やビーズを施したり、

出来上がった洋服はお客様を引き立たせ美しかった。

先生とのコミュニケーションにも慣れ

年下の女の子ともどうにかやっていけそうになった矢先、

ある日突然女の子が来なくなった。

私のそれまでの常識では全く考えられない事だったが

以前もあったのか

「そんなもんよ。」と先生は気にも留めていなかった。

手先の器用な彼女がいないことは大きな痛手だった。

私のプレッシャーは大きくなったが、

負けず嫌いの昔の私は出てこなかった。

自分でもよくわからないが

この時期、どんなにけなされても、怒られても、

叱咤激励されても力が湧いてこなかったのだ。

自身が持てず、落ち込むばかりだった。

「服をたくさん作って早くあなたもクチュールをやりなさいよ。」

としごかれるのだが、

私の中に〝私〟が存在していない感じだった。

 

この頃自己啓発セミナーにも参加した。

お金もなかったので躊躇していたが

めったに自己主張をしない妹からの強い勧めで受けることにした。

そこでは究極的に追い詰められる感覚、突破しなければならない感覚、

喜びと感動の両方を味わった。

今思うと、あれは何だったのだろう…。

自分の中にある可能性、限界を超えていく力、

自分の本質を見出すカリキュラムだったのかなぁ…と。

確かに確実に得たものはあった。

今も宝物として私の中にある。

自己啓発セミナーでは表面の薄皮を剥ぐことはできたが、

ここ20年の歩みの中でもっと自分を深く深く掘り下げられ

培ってきたんだなぁ…と最近つくづく思う。

 

自分を見失い、確立できない私は

誰かに依存したい気持ちが強くなった。

結婚するつもりでいた相手から突然フラれたことも影響した。

生涯を共にするパートナーがほしいと思うようになり

同じような価値観を求めいろいろな人と付き合うことにした。

外見、職業、地位…なるべくそういうものに目を向けずに

その人自身を見ようと思った。