yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

pikarinなりのコントロール

順調だったpikarinだが昨日は学校を休んだ。

以前よりは朝グズグズせず

自分の意志を早い段階で伝えることができるようになった。

行くのか行かないのか、遅刻して行くつもりなのか

それによってすべきことや優先順位、

自分の予定の変更を余儀なくされる。

朝の忙しい時間にイライラさせられるのだ。

こちらもだいぶ修業を積んで

どのようにも対応できる心の準備を怠らないようになった。

 

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昨年2学期途中から

ある先生に注意されたことをきっかけにまた不登校が始まったが

今年3学期初日いきなり朝準備をして学校へ行き出した。

前日まで朝9時起きの寝坊助だったのに。

なぜ行くことにしたのか理由を聞きたいところだが

ここはグッと我慢。

聞いてしまうと地雷を踏んで、爆発が起こり、

再び不登校になる可能性大だから。

せっかく自分で気持ちを立て直したのに

水を差すことになる。

 

その後3週間ほど順調だったが

ある時「疲れているから。」と言って休んだ。

朝、準備万端で家を出る寸前、

「あれっ?マスクがない!」

「ママ、マスクどこ?探してきて!」と大声で怒鳴り

それがきっかけで「行かない!」になった。

気持ちにゆとりがないとこうなってしまう。

普通の人はわがままと思うだろう。

pikarinの言う「疲れている」は

余裕のない状態のことを意味するようだ。

きっかけは些細なこと。

元々この日の朝は何となく行きたくない気持ちがあったのだろう。

それを言えずにとりあえず準備をして

行く段取りまでこぎつけたのだが

マスクで首尾よくいかなくなってしまい、爆発。

 

いったん休むとなったら

YouTubeを見てゲラゲラ笑い、

ゲームなどして特に具合の悪い様子は全く無し。

一般的に言う「疲れている」様にも見えない。

週末も元気に過ごし、

月曜日さあ再び登校!と思いきや…。

 

朝起きてきてpikarinがトイレに入ろうとしたところ

タイミング悪く私が先に入っていた。

1階のトイレに入ればよいのに

再びベッドに戻り横になってしまった。

その後2階から降りてくる様子もなく

見に行くと…

「今日は休む。明日の高等部進学相談日に緊張したくないから。」

pikarinなりの理由らしい。

高等部進学相談日というのは

進学のための学力診断、行動観察、親子面談がある。

未知の体験に対する不安感が健常者より強いのは確かだ。

それにしても、

クラスの他の子どもたちはそのために休んだりしないのだけど…。

 

もしかすると

そんな自分のことを分かっていて

自分なりに調整しているのだろうか…?

 

その日の夕方、担任から電話がかかってきた。

不安そうな感じがうかがわれる。

「明日の進学相談日は出席できそうでしょうか?」

「ええ、自分で調整して明日のために今日は休む、

と言ったので大丈夫です。」と私。

でもここで

「明日は頑張ろうね!」などと言おうものなら

当日何が起こるかわからない。

私のその一言で台無しになってしまう。

高等部に行かない、と言い出すかもしれない。

pikarinを信じて何事もなかったかのように

淡々とやり過ごすことが大事。

時間になったら出発できるように

首尾よく整えておくことに徹するのみ。

 

そんなこんなで

昨日も何となく疲れている感じがしたのだろう。

疲れるとイライラの爆発につながるのを自分で分かっていて

それを起こさないための

pikarinなりのコントロールなのだ。

 

世の中の健常者たちは

ある程度の我慢やコントロールできるが故に

自分の感覚が麻痺し

いつの間にか無理が重なってしまう。

pikarinみたいに早い段階で気づいて休むことができたらいいのにね。

 

 

神原康弥さんと指談

最近スマホのメールで

Amazonあなたへのおすすめ〟で

神原康弥さんの本が登場した。

すでに何冊も出版しているようだ。

 

確か5年前2017年、pikarin新6年生を迎える春休み最後の日だった。

pikarinをよく知る知人から神原康弥さんを紹介され

一度会ってみたら、と言われたのだった。

神原康弥さんは2歳の時に脳症となり、

身体を自由に動かせず、言葉も出ない重度の障害を持つ。

 

そのころpikarinは学校へ行ったり休んだりを繰り返しつつ

どうにか登校できていた。

同じ支援級の年下の強烈な個性の子の言動、

その子のペースで進められるクラスの状況に苦しそうだった。

スクールカウンセラーにも相談したが、

できることに限界があるらしく

担任や校長先生に提言できないと言う。

何のためのスクールカウンセラーなのかよくわからない。

話を聞くだけなのか…。

 

子どもが学校に行ってくれると

親はその間自分の時間ができるし、

世間一般から外れていないというだけの

見せかけの安心感はある。

でもpikarinの方は学校へ行くことで

不安感、不信感だらけの毎日が繰り返されるのである。

 

そんな気持ちを常に抱えていた時だったので、

言われるまま会ってみることにした。

 

神原康弥さんは言葉を話すことはできないが

相手の気持ちを読み取って「指談」で会話する。

「指談」というのは

重度の障害を持つ方や、病気や事故により植物状態となった方の

コミュニケーションを援助する方法だ。

國學院大学の柴田保之教授が研究され始められた。

相手の方に自分の指を取ってもらう、

あるいは手を添えてもらうことで、

その身体の反応から相手の意志を読み取る方法である。

最初は〇、✕、段階を追って数字など

質問の幅を広げていきながら意思の疎通を図るというもの。

 

神原康弥さんに出会って初めて「指談」というものに触れた。

(といってもpikarinだけど)

康弥さんの場合はお母さんが康弥さんの指を握り

そのわずかな動きを感じ取って通訳する。

この支援の介添者の指導を行っている団体もあるようだ。

すんなりいくわけではない。

途中疲れて眠くなってしまったりもする。

健常者なら即答できる答えにも時間がかかる。

一つひとつの質問をイエス、ノーで進めていくわけだから。

生きるために身体を維持するだけでも

相当なエネルギーを必要とするのだろう。

 

Oリングテストやペンジュラムに共通するものがあると感じた。

リラックスした状態で筋肉の収縮などの反応を感じていくわけだから。

潜在意識下では認識できていることを

いろいろなものが邪魔をして表に表すことは困難だが

誰もが身体で感知しているのであろう。

潜在意識下の見えない領域のことだから

介添者の勝手な解釈と思われたり

怪しいという人もいる。

科学的な裏付けもない。

 

「指談」ではないが

似たような方法にタイピングを支援する方法がある。

50音やアルファベットのキーボードの指差しを手伝うやり方だ。

世界的な話題作「自閉症の僕が跳びはねる理由」の東田直樹さんは

重度の自閉症でありながら、お母さんの介添えで

心で感じていることをタイピングを通し発信し続けている。

 

私はpikarinともっと話がしたかった。

明日から新学年スタート、という時に

pikarinの心を確認したかった。

学校に行くことに困難を感じているのではないかと

うすうす感じてはいたが

はっきりした答えが欲しかった。

たぶん私の覚悟、自分を納得させるために、だと思う。

神原康弥さんに思いをわかってもらえ、

ホッとしているように見えた。

帰りpikarinに導かれるまま見知らぬ公園に寄り道し

時間を共有しながら彼の思いをかみしめた。

夕方風も冷たく早く家路に着きたかったが

必要な時間に感じた。

 

次の日の始業式は出席したが

その後は遅刻、欠席の繰り返し。

今になって学校の連絡帳を振り返ってみると

翌年の3学期始まる前までブランクだった。

 

神原康弥さんと話をした後

自分なりに葛藤して、行かないことに決めたんだろうな。

 

 

 

 

 

「ボク、ママのためにやってるの。」

最近は比較的落ち着いてきて

怒りがおさまるのも早くなったpikarin。

一瞬激情するが、コントロールする力が出来つつある。

すぐに謝ることもできるようになった。

 

とはいっても

全てがうまくいっているわけではない。

私にかまってもらいたいのか

好きな時だけ絶えずまとわりついてくる。

自分では犬が好きなくせに、まるで猫みたい。

足を踏んでみたり、体の上に乗ってきたり

行く先を妨げてみたり…。

幼い子ならかわいいが、もう16歳も終わる。

 

その度にやめてほしいと伝える。

言ってもわからなくても何度も繰り返し言い続けること、

と支援の先生や医師は言う。

誰だって言われ続けたら嫌だろう。

言い続ける方もいい気分ではない。

時々そんなあり方に疑問を感じる。

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母:「どうしてやるの?」と聞くと

P:「ママがボクにしてほしい、って言ってるんだ。」

母:「ママはやめて、って言っているんだけど。」

P:「ボク、ママのためにしているんだよ。」

いつもそんな答えが返ってくる。

〝ママのために〟…?

自覚は全くないが

潜在意識の領域で私が望んでいることを

体験させてくれているのだろうか…。

 

最近、夜寝る時に私をベッドに呼ぶ。

「さみしい病」復活だろうか?

一緒に寝ていたころを思い出す。

今までいろいろなことを一緒に体験してきた。

親子だから当たり前のことかもしれないが

これほど密度濃く関わりあった人は

pikarinの他にはいないと思った。

 

光の天使の姿で私の夢に出現し

お腹を抱え話しながら一緒に散歩

呼吸を合わせてすぽ~んと飛び出てきたpikarin

夜泣きがひどく一晩に10回以上目覚める

おっぱいをあげても乳首が離れるとすぐに泣き、

3歳まで飲み続けた

他の子とはちょっと違うと思ってきたが

2歳3か月まで歩かず、お尻歩き

遊具を怖がり、他の子とも遊ばない

いつも砂場で私と一緒

でもpikarinは独りの世界

私は傍らにいるだけ

幼稚園はシュタイナー教育

私の自己満足に付き合ってくれたのか…?

どう考えても継続が困難と判断し

シュタイナー学園は小学校2年生で転校

その時pikarinは

「ボク大丈夫だから。続けられるから。」

と泣いて訴えた。

これも私を思ってのことだったのかも…

その後は不登校の繰り返し

pikarinの言葉を信じてあげなかったからだろうか…

成長と共に様々な問題が勃発

二次的障害が出て大変なことばかり

行方不明、暴力、破損、入院…

家庭支援センター、児童相談所福祉施設、警察との関わり

 

pikarinのおかげで

今まで全く経験のないことばかり体験させられた。

親子としてもっと別の体験をしたかったのだが

頭の中の理想とは違って

潜在意識ではこれらの体験を通して学びたいことがあったのかもしれない、

と最近になって思う。

いろいろなことが起こる度に

根が真面目だけに全身全霊でpikarinに関わってきた。

その関わり方にも問題があったかもしれなかったが

とことんやってきたので学びや気づきも深かった。

 

〝ママのためにしている〟

本当にそうなのかもしれない。

身体は大きくなっても

まだあどけなさの残る純粋なpikarinの顔を見ていると

感謝の気持ちで涙があふれてくる。

「pikarin、ありがとね。ママにいろいろ教えてくれて。

まだ伝えようとしていることの全部はわからないけど、

ママのところに来てくれて本当にありがとね。」

素直にこう伝えられた。

 

pikarinは黙って私の言葉を聴いていた。

そして布団の中に私の手を引き寄せ

ぎゅっと握ってくれた。

 

 

 

サグラダ・ファミリアは未来のため?

「ママ!サグラダ゙・ファミリアって

未来のために造られたのかもしれない!」

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朝まだ私がベッドの中で夢ごこちの時に

pikarinがいきなり騒々しく部屋に入ってきて言い出した。

 

サグラダ・ファミリアって教会だよね。

人間が神様をずっと忘れないようにするため、

わざと未来のために造ったんじゃない?

だって今も造り続けているんでしょ?」

 

うわぁ~、なるほど

そうかもしれない。

(pikarinなんでサグラダ・ファミリア知っているんだろう…?)

 

最近のpikarinの言葉は面白い。

本来の彼が表現されつつあるように感じる。

独特のひらめき、発想みたいな、

持っている本質が少しずつ現れている。

 

サグラダ・ファミリア

スペイン、バルセロナにあるカトリック教会。

日本語で聖家族贖罪教会。

1882年に着工開始され、当初完成に300年かかるといわれていた。

しかし、ガウディ没後100年にあたる2026年を完成目標としていたらしい。

私が訪れたのは1991年。

バルセロナオリンピックの前年だった。

その時からすでに30年が経ち、

観光収入による建築資金や近年のIT技術により設計がスムーズになり

格段に建設が早まったようだ。

ところが、新型コロナウィルス感染拡大により

工事中断や、観光収入の減少で資金調達に支障が出て

2026年の完成が難しい状況とのこと。

 

「神は急いでおられない。」

ガウディが言ったとされる言葉がある。

この世では過程よりも結果が重視され

なおかつ、効率やスピードが求められる。

そんなあり方に警鐘を鳴らすかの如く

サグラダ・ファミリアは創造され、

現在も未来もあり続けるのかもしれない。

 

一部分の完成とはいえ

当時私が訪れた時の印象は

曲線と有機的な全体像とその空間に包まれるあたたかみのようなもの。

日本人彫刻家外尾悦郎氏の繊細で優美な彫刻の美しさ。

それと対照的な西側の受難のファサード

その直線的で鋭く、冷淡な印象。

同じ建造物の中にある対照すぎる違和感。

塔の中の細い螺旋階段。

ひたすらぐるぐる回り、目が回りそうになった。

 

今思うといろいろなことが想像される。

ガウディの想いとは違うものとなったかもしれない西側のファサード

〝誕生と受難〟のとらえ方で、対照性もあえて意味があるように思える。

設計図がガウディの頭の中にしかなかったこと、

建築にかかる年数がとてつもなく長いことによる

想定外の結果が意味を持つこともある。

完成の良し悪し、賛否は別として

ここに神様の意図することがあるのではないか。

 

また、天に昇っていく細い螺旋は

人間の成長の道のりやDNAの螺旋構造を彷彿させる。

螺旋を昇っている時に体感するのは

無意識下の遺伝子の記憶から来るのかもしれない。

有機的な曲線だからこそ感じられる。

「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

               (コリントの信徒への手紙Ⅰ第12章27節)

教会はキリストの体といわれる。

私たちはその内に集められ、各部分を構成し、協働する。

そこで行われる礼拝を思うとイメージはさらに発展する。

 

サグラダ・ファミリアには

ほかにも随所にたくさんの意味が込められている。

聖書に書かれていることのすべてが盛り込まれていて、

それを目に見える建造物として

その建築過程の紆余曲折も含め、後世に伝え

まさに人間が神様を忘れないために造られたのかもしれない。

 

pikarinの唐突発言から

過去の体験を回想し、新しい情報を得て、

気づきも得られた。

ちょっと嬉しい。

pikarinありがとう!

 

 

バイオグラフィーワーク~エピローグ 振り返って思うこと

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ふとしたことから25回にわたって書き続けたバイオグラフィー

現在第8周期の途上にあるが、一旦終了することにする。

息子pikarinの発達障害を通しての気づきから自分の成長を見つめることが

ブログを始めたきっかけだった。

一見それてしまったかのように思えるこのバイオグラフィシリーズは、

いずれどこかの時点で書かなければ、と思っていたが

なかなかオープンにする勇気が出なかったのが正直なところ。

 

振り返って自分を7年周期ごとに区切ってみると

それぞれの時期で見えてくるテーマがある。

無意識に過ごしていると

そのテーマや課題が見過ごされてしまう。

人は生まれてくる時に

自分の人生の設計図を決めてこの世に降りてくるといわれる。

少しずつその意味もわかる気がしてきた。

自分の生い立ち、何を感じ、何を考え、

どのように行動し、過ごしてきたのか。

それを深めるかの如く

夫に出会い、pikarinとの密度の濃い関わり。

自分が何に幸せを感じ、何を喜びと感じるのか、

自分にとっての豊かさとは何か、

何を求めているのか。

そんなことを問い続けながら

ようやく自分というものがわかりつつある。

 

人生は成功とか失敗という結果ではなく

その過程にこそ意味があると思う。

その人なりに、その人に必要な経験をたくさん得ることによって

気づき、成長することだと思う。

気づきのタイミングや成長のスピードも人それぞれ。

それも必要に応じてその人にゆだねられる。

かつて〝共に成長しあおう〟と誓って結婚したはずの夫に

「約束したよね!」と詰め寄った際、

「何もしなくても生きているだけで成長だから。」

と言われ、愕然としたことがある。

今なら、そうとも言えると受け止められる。

 

ともあれ

今度は次のステージへの準備。

自分がやるべきことが少しずつ見えてきたこの時期、

夫やpikarinとの関わり方も少し変わってきて、

今後どのように展開していくのか楽しみになってきた。

今まで同様いろいろなことが起こり、

up-downも相変わらずかもしれない。

でも自分軸が整いつつある今、

以前のように振り回されたり、一喜一憂することはないように思う。

昔漠然と思い描いていた理想の家庭像や生活とは全く違うが

囚われや価値観から解放されると

思ってもみなかったところに

平和や穏やかなやすらぎ、喜びを感じたりする。

私はこれを求めていたのだろうか…?

という気づきも生まれる。

 

毎日自然とやってくる出来事も

とらえ方次第で面白いことがいっぱい。

突然懐かしい人から電話がかかってきたり、

なぜこのタイミング?という出来事が起こったりする。

出来事だけでなく、周囲の人の変化も面白い。

一つひとつが偶然ではなく、

私に必要があって起こっている。

出来事の点と点が線で結ばれ

線が重なり合ったり、形になったり。

どんな空間が創られていくのか。

まだまだこれから。

未知なる世界が展開していくのは楽しい。

 

人は死の間際に自分の人生を走馬灯のように見るというが

次のステージに移行するために

振り返って確認しているのかもしれない。

そんなことを思った。

 

 

バイオグラフィーワーク(8)50歳-a.内面から〝受け入れる〟ということ

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バイオグラフィーの第7周期では

夫が事故を起こし、さらにPikarinの発達障害の問題が次々に表面化し

人生の中でも自分でどうにかできることではなく、

かなりの難局に直面した。

〝受け入れる〟ということがどういうことなのか

第8周期の今もこのテーマは継続している。

思い返してみると

それまでの〝受け入れる〟というのは

障害を受け入れる、という意味合いだったことに気がついた。

〝夫を受け入れる〟〝Pikarinを受け入れる〟という

相手を丸ごと受け入れていたわけではなかったんだ、

と今さらながら気づいた。

それだから〝どこからどこまでが障害の部分で、どこが本質なのか〟

などという表現が出てしまったのだろう。

相手のすべてを受け入れることができれば

どこからどこまでがなんてことは

全く関係ないことなのだから。

 

ここ数年、pikarinの将来のイメージを描くためにも、と思い

障害者の福祉作業所でのパートの仕事に関わった。

初めは障害者という視点で

どこをどのように支援したらよいのかを考えていた。

普段pikarinと接しているので、同じようなケースがあり

他のパートの方よりは経験、理解ができていたと思う。

でもしばらく接しているうちに

障害というくくりで人を見ることに違和感を感じてきた。

同じ障害の共通性はあるにしても

一人ひとり個性があり、

育った環境も今置かれている環境も、抱えている問題も違う。

〝こだわり〟という共通項はあっても

こだわる箇所、こだわり方はみな違う。

同じ作業所に通っていても、その環境が合う人と合わない人がいる。

そんなことを考えpikarinをイメージしてみると

なかなか合いそうな所はない。

将来を気にして先を見るのではなく、

今のpikarinの持っているもの、特性をもっと大切にしなくては…と思った。

 

そんな風に一旦障害を外してみると、

どうして○○してしまうんだろう…?という問いが少し減った。

問題行動には必ず理由があるから

その問いは解決には必要なことなのだが、

あえて〝どうして〟に焦点を当てず

〝今ある状態を受け入れる〟ということをしてみることが大切。

このことを夫とpikarinから教えられているように思う。

 

そのためには考えることをしてはいけない。

何も考えずにありのままの今を受け止める。

気持ちに余裕がないとできない。

時間や効率を考えてもいけない。

待つことが大切。

言葉も邪魔になる。

こちらが先に思いを伝えてはいけない。

相手から聞き出すこともよくない。

つかず離れず

相手が話したければ聞き、

相手が聞いてくれば答える。

 

今まで寄り添うことができていなかったなぁ、とつくづく思う。

今までやってきたことが無意味だったとは思わない。

どうすれば改善するか

How to本や障害を理解するための本を読みあさり

薬や代替療法をいろいろ試したり…。

これが今まで私が学んできたやり方だったから、

当たり前のようにやってきた。

それもかなりとことん。

でも一番大切なことを私はおろそかにしてきたのかもしれない。

「ありのままを受け入れる」

ようやくこのことに気づいた。

〝その時〟がきたのか、瞑想のおかげか、

ここまで大変な目に遭わないと気づけないほど私が頑ななのか。

人生半ばにして気づけて良かった。

 

一般論や常識にとらわれたくないという私の望み通り

この二人を受け入れるのは

かなり難易度が高いと実感している。

試練ではなく、驚きと発見の楽しさが見いだせますよう。

 

 

バイオグラフィーワーク(7)43-49歳 c夫の事故とpikarin

事故や事件というのは突然起きるし、

あれは何だったんだろう…と思ってみても受け入れるしかない。

 

pikarinが4歳の時夫が交通事故を起こした。

それまでも何度となく不安を感じることがあり

何度か通勤に車を使わないようにお願いしていたのだったが、

本人が楽なこともあり聞き入れてもらえなかった。

 

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土曜日の夜だった。

帰宅が遅くなる予感がしたので

pikarinと二人食事を済ませ入浴しようか迷っていたところ

救急隊からの電話があった。

急いでpikarinを連れて病院へ向かった。

暗い夜道、山道のカーブ、路肩は雪が凍っていた。

途中事故現場を目撃したが、そこが夫の事故現場であることは後から分かった。

休日、待合室に誰もいない夜の病院。

病室が空いていないということで入院できると決まったのは夜中12時近かった。

外傷は目立ったものがなかったが、頭を強く打っているらしかった。

意識はあった。

いろいろ検査してくれたものの、これ以上手を施すことがない、と

搬送された大学病院は3日で退院させられてしまった。

このまま自宅で…というのはあまりにも不安だった。

運よく夫が勤務していた脳神経外科病院に入院させてもらうことにした。

日頃から夫が尊敬していた医師だったので、心強かった。

とはいえやはり何かできることはなく、リハビリで回復を待つより他なかった。

頭部打撲により動眼神経麻痺が起こったようだ。

瞼の開閉ができず、眼球が動かず、瞳孔も動かせなくなっていた。

事故前後の記憶は失われ今も何も覚えていない。

当時は短期記憶も失われていて、「今日何日?」など繰り返すばかり。

それでも打ちどころがよかったようで

事故状況からすると半身不随、寝たきりの状態もあり得たようだ。

この先どうなるんだろう…。

お先真っ暗…というよりは、

今に生きていながら、今を生きていないような感覚だった。

でもpikarinがいたから日常のこと、お弁当作りや幼稚園の送迎はやっていた。

 

西洋医学ではやれることがなかったから

針治療、整体、カイロプラクティックオステオパシーなど

その時々いろいろな代替療法を試してみた。

何が効いて何が効いていないかははっきりとは分からないが、

複視の障害や頭痛その他後遺症は残っているものの凄い回復なんだと思う。

 

後遺症の中でも「高次脳機能障害」というのは分かりにくい。

症状に個人差があるが

一見何ともないような状態に見えて、感情の起伏が激しく怒りやすくなったりする。

どこまでが本来持っている気質的なもので、

どこからが障害の部分なのか判断できない。

本来の気質が誘発された可能性もあるかもしれない。

些細なことで激怒してしまうから話もできないし、

pikarinの行動イライラが増長し話が極論になってしまう。

pikarinを保護施設に預ければいい、など言い出す始末。

一見見た目は普通の人と変わらない夫とpikarin。

だがどちらも脳に障害があり感情コントロールや記憶に問題がある。

pikarinは泣きわめき、不安で眠れず、物にあたる。

それを見て夫はイライラから波及し

「静かにさせろ!」「出ていく!」などと怒鳴る。

それでも毎日ご飯を作り、洗濯し、幼稚園や学校のことをこなす。

世の中には大変な思いをしている家庭がいっぱいあるんだろうなぁ、とも思う。

夜pikarinと離れて寝られることは少なかったが

それでもつかの間の休息時には

神様に現状を嘆き訴え、なぜこのような試練が与えられるのか

泣きながら祈っていた。

私の苦しさ、悲しさ、辛さを全て知っているのは神様しかいないのだから。

このような状況で生きることにどんな意味があるのか、求め続けた。

信仰があることは救いだった。

そうでなかったら今こんな風に生きていられない。

発達障害の子の母達は同じように追い詰められ、

親子心中しようと思ったと身近に聞くことも多かった。

我が家の場合、加えて夫のこともある。

普通の感覚ではいられなかった。

夫を受け入れ、pikarinを受け入れ、現実を受け入れていくしかなかった。

 

一見普通の二人。

目に見えない部分の障害。

これが受け入れを難しくしていた。

周囲の人からは何も問題がないように見える。

そして突如些細なことがきっかけで表面に表れる。

一旦爆発が起こると過激さを増して収拾がつかなくなる。

脳の問題なのか、神経の問題なのか…。

医学的理論上は少しは解明しつつも、実生活は難しい。

 

この時期に始まり、

今に至るまでずっと〝受け入れる〟という課題を突き付けられている。