yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(7)43-49歳 c夫の事故とpikarin

事故や事件というのは突然起きるし、

あれは何だったんだろう…と思ってみても受け入れるしかない。

 

pikarinが4歳の時夫が交通事故を起こした。

それまでも何度となく不安を感じることがあり

何度か通勤に車を使わないようにお願いしていたのだったが、

本人が楽なこともあり聞き入れてもらえなかった。

 

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土曜日の夜だった。

帰宅が遅くなる予感がしたので

pikarinと二人食事を済ませ入浴しようか迷っていたところ

救急隊からの電話があった。

急いでpikarinを連れて病院へ向かった。

暗い夜道、山道のカーブ、路肩は雪が凍っていた。

途中事故現場を目撃したが、そこが夫の事故現場であることは後から分かった。

休日、待合室に誰もいない夜の病院。

病室が空いていないということで入院できると決まったのは夜中12時近かった。

外傷は目立ったものがなかったが、頭を強く打っているらしかった。

意識はあった。

いろいろ検査してくれたものの、これ以上手を施すことがない、と

搬送された大学病院は3日で退院させられてしまった。

このまま自宅で…というのはあまりにも不安だった。

運よく夫が勤務していた脳神経外科病院に入院させてもらうことにした。

日頃から夫が尊敬していた医師だったので、心強かった。

とはいえやはり何かできることはなく、リハビリで回復を待つより他なかった。

頭部打撲により動眼神経麻痺が起こったようだ。

瞼の開閉ができず、眼球が動かず、瞳孔も動かせなくなっていた。

事故前後の記憶は失われ今も何も覚えていない。

当時は短期記憶も失われていて、「今日何日?」など繰り返すばかり。

それでも打ちどころがよかったようで

事故状況からすると半身不随、寝たきりの状態もあり得たようだ。

この先どうなるんだろう…。

お先真っ暗…というよりは、

今に生きていながら、今を生きていないような感覚だった。

でもpikarinがいたから日常のこと、お弁当作りや幼稚園の送迎はやっていた。

 

西洋医学ではやれることがなかったから

針治療、整体、カイロプラクティックオステオパシーなど

その時々いろいろな代替療法を試してみた。

何が効いて何が効いていないかははっきりとは分からないが、

複視の障害や頭痛その他後遺症は残っているものの凄い回復なんだと思う。

 

後遺症の中でも「高次脳機能障害」というのは分かりにくい。

症状に個人差があるが

一見何ともないような状態に見えて、感情の起伏が激しく怒りやすくなったりする。

どこまでが本来持っている気質的なもので、

どこからが障害の部分なのか判断できない。

本来の気質が誘発された可能性もあるかもしれない。

些細なことで激怒してしまうから話もできないし、

pikarinの行動イライラが増長し話が極論になってしまう。

pikarinを保護施設に預ければいい、など言い出す始末。

一見見た目は普通の人と変わらない夫とpikarin。

だがどちらも脳に障害があり感情コントロールや記憶に問題がある。

pikarinは泣きわめき、不安で眠れず、物にあたる。

それを見て夫はイライラから波及し

「静かにさせろ!」「出ていく!」などと怒鳴る。

それでも毎日ご飯を作り、洗濯し、幼稚園や学校のことをこなす。

世の中には大変な思いをしている家庭がいっぱいあるんだろうなぁ、とも思う。

夜pikarinと離れて寝られることは少なかったが

それでもつかの間の休息時には

神様に現状を嘆き訴え、なぜこのような試練が与えられるのか

泣きながら祈っていた。

私の苦しさ、悲しさ、辛さを全て知っているのは神様しかいないのだから。

このような状況で生きることにどんな意味があるのか、求め続けた。

信仰があることは救いだった。

そうでなかったら今こんな風に生きていられない。

発達障害の子の母達は同じように追い詰められ、

親子心中しようと思ったと身近に聞くことも多かった。

我が家の場合、加えて夫のこともある。

普通の感覚ではいられなかった。

夫を受け入れ、pikarinを受け入れ、現実を受け入れていくしかなかった。

 

一見普通の二人。

目に見えない部分の障害。

これが受け入れを難しくしていた。

周囲の人からは何も問題がないように見える。

そして突如些細なことがきっかけで表面に表れる。

一旦爆発が起こると過激さを増して収拾がつかなくなる。

脳の問題なのか、神経の問題なのか…。

医学的理論上は少しは解明しつつも、実生活は難しい。

 

この時期に始まり、

今に至るまでずっと〝受け入れる〟という課題を突き付けられている。