yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

サグラダ・ファミリアは未来のため?

「ママ!サグラダ゙・ファミリアって

未来のために造られたのかもしれない!」

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朝まだ私がベッドの中で夢ごこちの時に

pikarinがいきなり騒々しく部屋に入ってきて言い出した。

 

サグラダ・ファミリアって教会だよね。

人間が神様をずっと忘れないようにするため、

わざと未来のために造ったんじゃない?

だって今も造り続けているんでしょ?」

 

うわぁ~、なるほど

そうかもしれない。

(pikarinなんでサグラダ・ファミリア知っているんだろう…?)

 

最近のpikarinの言葉は面白い。

本来の彼が表現されつつあるように感じる。

独特のひらめき、発想みたいな、

持っている本質が少しずつ現れている。

 

サグラダ・ファミリア

スペイン、バルセロナにあるカトリック教会。

日本語で聖家族贖罪教会。

1882年に着工開始され、当初完成に300年かかるといわれていた。

しかし、ガウディ没後100年にあたる2026年を完成目標としていたらしい。

私が訪れたのは1991年。

バルセロナオリンピックの前年だった。

その時からすでに30年が経ち、

観光収入による建築資金や近年のIT技術により設計がスムーズになり

格段に建設が早まったようだ。

ところが、新型コロナウィルス感染拡大により

工事中断や、観光収入の減少で資金調達に支障が出て

2026年の完成が難しい状況とのこと。

 

「神は急いでおられない。」

ガウディが言ったとされる言葉がある。

この世では過程よりも結果が重視され

なおかつ、効率やスピードが求められる。

そんなあり方に警鐘を鳴らすかの如く

サグラダ・ファミリアは創造され、

現在も未来もあり続けるのかもしれない。

 

一部分の完成とはいえ

当時私が訪れた時の印象は

曲線と有機的な全体像とその空間に包まれるあたたかみのようなもの。

日本人彫刻家外尾悦郎氏の繊細で優美な彫刻の美しさ。

それと対照的な西側の受難のファサード

その直線的で鋭く、冷淡な印象。

同じ建造物の中にある対照すぎる違和感。

塔の中の細い螺旋階段。

ひたすらぐるぐる回り、目が回りそうになった。

 

今思うといろいろなことが想像される。

ガウディの想いとは違うものとなったかもしれない西側のファサード

〝誕生と受難〟のとらえ方で、対照性もあえて意味があるように思える。

設計図がガウディの頭の中にしかなかったこと、

建築にかかる年数がとてつもなく長いことによる

想定外の結果が意味を持つこともある。

完成の良し悪し、賛否は別として

ここに神様の意図することがあるのではないか。

 

また、天に昇っていく細い螺旋は

人間の成長の道のりやDNAの螺旋構造を彷彿させる。

螺旋を昇っている時に体感するのは

無意識下の遺伝子の記憶から来るのかもしれない。

有機的な曲線だからこそ感じられる。

「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

               (コリントの信徒への手紙Ⅰ第12章27節)

教会はキリストの体といわれる。

私たちはその内に集められ、各部分を構成し、協働する。

そこで行われる礼拝を思うとイメージはさらに発展する。

 

サグラダ・ファミリアには

ほかにも随所にたくさんの意味が込められている。

聖書に書かれていることのすべてが盛り込まれていて、

それを目に見える建造物として

その建築過程の紆余曲折も含め、後世に伝え

まさに人間が神様を忘れないために造られたのかもしれない。

 

pikarinの唐突発言から

過去の体験を回想し、新しい情報を得て、

気づきも得られた。

ちょっと嬉しい。

pikarinありがとう!