yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(8)50歳-a.内面から〝受け入れる〟ということ

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バイオグラフィーの第7周期では

夫が事故を起こし、さらにPikarinの発達障害の問題が次々に表面化し

人生の中でも自分でどうにかできることではなく、

かなりの難局に直面した。

〝受け入れる〟ということがどういうことなのか

第8周期の今もこのテーマは継続している。

思い返してみると

それまでの〝受け入れる〟というのは

障害を受け入れる、という意味合いだったことに気がついた。

〝夫を受け入れる〟〝Pikarinを受け入れる〟という

相手を丸ごと受け入れていたわけではなかったんだ、

と今さらながら気づいた。

それだから〝どこからどこまでが障害の部分で、どこが本質なのか〟

などという表現が出てしまったのだろう。

相手のすべてを受け入れることができれば

どこからどこまでがなんてことは

全く関係ないことなのだから。

 

ここ数年、pikarinの将来のイメージを描くためにも、と思い

障害者の福祉作業所でのパートの仕事に関わった。

初めは障害者という視点で

どこをどのように支援したらよいのかを考えていた。

普段pikarinと接しているので、同じようなケースがあり

他のパートの方よりは経験、理解ができていたと思う。

でもしばらく接しているうちに

障害というくくりで人を見ることに違和感を感じてきた。

同じ障害の共通性はあるにしても

一人ひとり個性があり、

育った環境も今置かれている環境も、抱えている問題も違う。

〝こだわり〟という共通項はあっても

こだわる箇所、こだわり方はみな違う。

同じ作業所に通っていても、その環境が合う人と合わない人がいる。

そんなことを考えpikarinをイメージしてみると

なかなか合いそうな所はない。

将来を気にして先を見るのではなく、

今のpikarinの持っているもの、特性をもっと大切にしなくては…と思った。

 

そんな風に一旦障害を外してみると、

どうして○○してしまうんだろう…?という問いが少し減った。

問題行動には必ず理由があるから

その問いは解決には必要なことなのだが、

あえて〝どうして〟に焦点を当てず

〝今ある状態を受け入れる〟ということをしてみることが大切。

このことを夫とpikarinから教えられているように思う。

 

そのためには考えることをしてはいけない。

何も考えずにありのままの今を受け止める。

気持ちに余裕がないとできない。

時間や効率を考えてもいけない。

待つことが大切。

言葉も邪魔になる。

こちらが先に思いを伝えてはいけない。

相手から聞き出すこともよくない。

つかず離れず

相手が話したければ聞き、

相手が聞いてくれば答える。

 

今まで寄り添うことができていなかったなぁ、とつくづく思う。

今までやってきたことが無意味だったとは思わない。

どうすれば改善するか

How to本や障害を理解するための本を読みあさり

薬や代替療法をいろいろ試したり…。

これが今まで私が学んできたやり方だったから、

当たり前のようにやってきた。

それもかなりとことん。

でも一番大切なことを私はおろそかにしてきたのかもしれない。

「ありのままを受け入れる」

ようやくこのことに気づいた。

〝その時〟がきたのか、瞑想のおかげか、

ここまで大変な目に遭わないと気づけないほど私が頑ななのか。

人生半ばにして気づけて良かった。

 

一般論や常識にとらわれたくないという私の望み通り

この二人を受け入れるのは

かなり難易度が高いと実感している。

試練ではなく、驚きと発見の楽しさが見いだせますよう。