谷美智士先生と治療茶との出会い
シュタイナー学園をやめて、pikarinが公立小に転校し、
この先どういう方針でやっていくのか手立てが見えなかった頃、
教会の帰りに、一人でふらっと本屋さんに立ち寄りました。
足が向くのは発達障害や教育関係のコーナーでした。
「発達障害の子のための…」「発達障害を理解する…」などの本が並び、
pikarinが生まれて、何か違うと気づいた1歳半頃とは
比べものにならないほど今は情報があふれています。
どれも何か違うな…。
今の私が必要としているものじゃない…。
と感じながら、本の棚を1段ずつ目で流していると、
厚さ1㎝に満たない新書サイズの小さな本が挟まれていました。
背表紙に「心配しないで、自閉症は治せる」というタイトルの
うっすら色のついた白い本が目に入りました。
なんだか優しい言葉に魅かれました。
抜き出してみると、かわいい白い子ヤギの絵の表紙。
著者である谷美智士医師の人柄が伝わってくるような気がしました。
購入して一気に読み、これに賭けてみようと
紹介もなく谷先生のクリニックに電話し受診することになったのです。
pikarinはその時10歳を過ぎていました。
「小さい頃から始める方が効果が出るので治るとは言えないが改善するとは思います。5年間は続けてください」。
と言われ、治療茶を飲むことを始めました。
治療茶というのは、セロリシード、レモンバーム、ローズマリー、バジルなどのハーブ中心に谷先生が開発したブレンド茶です。
これを朝晩2回食前に飲みます。
谷美智士先生は西洋医学を学ばれた後、
お母様の癌をきっかけに東洋医学に目を向けるようになったそうです。
まず脈診から気の流れを通して脳内の状態を診てくれます。
皇居前のビルの中で、たくさんの絵画や立派な花が飾ってあるクリニックの
社長室のような大きな机と椅子に谷先生は座っていらっしゃいました。
その前にちょこんと座るpikarin。
初めはその雰囲気に少し緊張もありましたが、
pikarinは恐れることなく、谷先生を気に入っていました。
2015年に突然谷先生が亡くなられたことを聞き、耳を疑いました。
日本や中国にない植物を求めてアジア、アフリカ各地で採取し、
ご自身の身体を人体実験された先生。
旅先で感じ作曲されたCDは、今も先生の思い出として家にあります。
改めて聴いていると、
先生の治療者としての深い思い、愛が伝わってくる優しい曲です。
それ以降もpikarinは自分が辛く頑張っている時に、
「谷先生、お空でボクのこと見ているかな。」と言っていました。
〝愛は遠に生き続ける〟
谷先生は今も私たちの中に生き続けていらっしゃいます。
先生とのお約束通り5年間は続けました。
通院するのに時間がかかり、治療茶は自費診療になるので
体力的、経済的に大変です。
また飛行機で来院される癌の患者さんもいていつも混んでいました。
この治療茶が効いていたのかはのかは、結果としては分かりません。
始めたのが遅かったので思春期という難しい時期に重なってしまったのです。
今まで学校の先生からは「なぜ薬を使わないのか。」と言われ続けていました。
西洋医学の精神薬で抑えるやり方にはどうしても抵抗がありました。
西洋医学をベースに学ばれ、自己免疫力を高めていく東洋医学のあり方を合わせた統合医療を進めている先生に出会えたことは
大変心強く、ありがたいものでした。
物事は二極に分かれがちですが、
どちらかに偏るのではなく、長所を合わせて考える柔軟な思考が必要だと思うのです。
谷先生亡き後は後継者である高橋先生がご遺志を引き継がれました。
自閉症が専門なわけではありませんが、
谷先生の治療茶と漢方薬は継承しつつ、
新規にマイクロ波治療や医療用Оリング(オーリング)テストなどを用いて
独自の方向性を打ち出されています。
この高橋先生もまたまたユニークです。
ドクターでОリングを使う方に初めて出会いました。