yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

瞑想 ~タラントの教え

朝の瞑想はすがすがしく、心が落ち着く。

 

無心でいようとマントラを唱えているのだが、

いつの間にかふっと何かの思いやイメージがやって来る。

それもそのまま、やって来るにまかせて…。

またマントラにもどる。

これがTM瞑想のよいところ。

 

終わった後には何かの気づき、テーマが与えられることが多い。

 

今日は〝タラント〟の言葉がやって来た。

 

よくスピリチュアル系のものを読んでいると、

〝ワクワクすることをしよう、

 あなたの本質を生きる、お金は自然とついてくる〟

というようなことが多く書かれている。

 

ワクワクすることと、好きなこと・やりたいことは

ちょっと違う気がする。

イコールであることももちろんある。

〝ワクワク〟というのは、欲から発生しておらず、

心の奥底から感じるもの、潜在意識の奥の方って感じかな。

好きなこと・やりたいことは

顕在意識に近いところのような…。

 

あなたの〝本質〟っていうのはどうだろう?

本質と、才能や能力というのもちょっと違う。

これもイコールであることもある。

なぜなら才能や能力も本質から出てきたものだと思うから。

そしてこの世では才能や能力は資格や仕事と結び付けられて

考えられることが多い気がする。

 

私の場合、絵が描ける、服が作れる、ヨガができる、手先が器用とか

才能があるように周囲から言われてきたが、

どれも中途半端。

その時は一生懸命で仕事にした時もあったが、

とことん追求していないのか、本質から出ていないのか、

ワクワク感も時々。湧き上がる喜びまでいかない。

 

瞑想していてその喜びに至れる時は、

自分自身を思い出した時だ。

 

純粋、清らかさ、優しさ、献身、誠実さ、創造性、探求さ…。

 

これが私。私の本質(正確にはその一部)なんだろうと思う。

そして愛である神様の一部なんだ。

それに気づいた時、喜びが最高になる。

その本質を生かした時こそ、ワクワク感が出てくる。

 

〝タラント〟という言葉は、

聖書ではマタイによる福音書25章14~29節に出てくる。

もともとは重さの単位を表す古代ギリシャ語に由来するが、

金銀の重さを量ったことからのようだ。

聖書にもあるように、貨幣の単位にも用いられた。

 

世でいうタレント(才能)と聖書の意味する才能は違う。

神様から全ての人間一人ひとりに、無条件に与えられた才能。

 

それは神様の愛から生まれるもの。

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そして与えてくれた神様を信仰し(ここが重要)、

失敗やリスクを恐れず、タレントを大切に生きる。

 

そうすると、神様からの恵みによって、

さらなる〝賜物(カリスマ)〟が与えられるのだろう。

(〝カリスマ〟はギリシャ語で恵みを意味する。

 聖書では「神の賜物」を意味し、世でいうカリスマの意味とは異なる)

 

そしてますます豊かになる…。

 

この世でどんなに大きなこと、優れたこと、立派なことをしても

神様抜きには至福の喜びには至れないってことだな~。

 

改めてこんな気づきがあった朝でした。