光の子誕生
赤ちゃんがお腹にいるとわかってから3か月くらいした時のことです。
ある時夢に出てきたのです。
物語にありがちと思えるかもしれませんが、
その子は輝く光の中で天使のような姿で
私の方を見て「エヘッ、エヘッ。」と笑っています。
朝起きて、何だったんだろうと不思議に思う気持ちと喜びでいっぱいになりました。
今もその映像は目に焼き付いています。
その頃住んでいた相模原市では、市制50周年のイベントで
10年後に指定された宛先に手紙を届けてくれる〝夢レター〟という企画がありました。
私は生まれたばかりの息子(pikarin)が10歳になった時に受け取ることを想像し、
この企画に参加してみることにしました。この年の暮れ12月30日のことでした。
その手紙には、私と主人の喜び、明るい未来についてのメッセージとともに、
息子の誕生祝いをくださった方々へのお礼の手紙(下記−幸福の手紙−)を添えました。
息子(pikarin)の誕生についてのエピソードが込められていたからです。
〝🍀光福(幸福)の手紙
はじめまして。ボク、〇〇光と申します。
2004年4月17日(土)午後6時8分にこの世に出てきました。
パパは宇宙人の〇、ママは地球人の〇〇。
一見普通に見えますがちょっと風変わりな家族のようです。
お腹にいた時の愛称は〝プンちゃん〟でしたが、
実は2・3か月の頃からボクの名前は
男の子だったら光(ひかる)、女の子だったら光(ひかり)と決まっていました。
だから飛び出てきた途端に〝光くん〟と呼んでもらえて嬉しかったです。
10か月の間ママはお腹のボクとコミュニケーションをとるのに一生懸命でしたが、
どう会話してよいのやらわからず試行錯誤でしたが、
ボクが度々夢に登場してインスピレーションを与えたので、
だんだんと会話ができるようになりました。
名前も光に包まれた男の子の天使の姿で現れたところからイメージされました。
はじめママは総合病院に通っていましたが、
生まれてすぐに別々にされたり、促進剤を使われたり、吸引されたりとか、
ボクがいやなことばかりなので、メッセージを送ったのが通じたのか、
7か月目に入ってからパパに相談して
おかげで出産はパパとママとボクの共同作業、入院中は母子共にずっといっしょ。
助産婦さんのケアは母乳の指導その他細やかで、
食事は助産婦さんの義母さまのおいしい手料理、
アロマオイルマッサージもしてもらえ、ママもボクも大満足でした。
2630g、46㎝と小粒で誕生したボクですが、これにはわけがあります。
ママは高齢なので大変にならないように、
パパとママに「3000gまでね。」と度々お願いされてしまったからです。
それなのにママは時々誘惑にかられてお菓子を食べてしまうので、
ボクは体重コントロールをするのに気をつかってしまいました。
ママのマタニティヨガのおかげもあるけど、4時間13分の超安産でした。
このほかにもいろいろなエピソードがありますが、
これから3人の共に生きる生活がスタートしました。
定住を好まない遊牧民のパパは今後どこへ行くのやらわかりませんが、
数年はここ相原にいるようです。
こんなボクたちですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
ボクの誕生を皆様が共に喜んでくださったことを感謝いたします。
主の平和が皆様と共にありますように。
まずは、お礼まで。
今思えば息子(pikarin)の名を借りた私の勝手な文章ですが、
10か月間一体となって過ごしたことのほんの一部を、
特に名前の由来を、近しい皆さんに知っていただきたかったのだと思います。
子育て中は現実と向き合うのに必死ですが、
子どもが生まれた時の親の思い…を
時に振り返って思い出すことは大切ですね。
感謝の気持ちが湧いてきます。