yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

言語化できない…?

今年に入ってからブログを書けていない。

毎日いろいろなことがあり

書きたいテーマは尽きることなく

次々と出てくるのだが、

書くことが追いつかず…。

 

まず第一に

書きたいテーマについての思考がまとまらない。

一つのテーマが他のものといくつもリンクして

どれとどれをまとめればよいかわからず混乱してくる。

 

これらのテーマは

私の場合気づきや感じたことが多く、感覚的なものなので

言語化がしにくい。

最近はその傾向が特に高まり

適切な言葉、表現が見当たらないことが多く

先に進めなくなっているのだ。

 

それでも日本語は

繊細な感覚を表現することができるはずなのだが…。

 

目に見えないものに対して感じることを

表現するって難しい…。

しかも極めて個人的な感覚。

説明しても相手に伝わらないのでは…

という不安もある。

相手がどのように捉えようとも

自分が発信することのみに集中できればよいのだが、

つい、共感してもらいたい、伝えたい

というエゴが持ち上がってきてしまう。

 

こんな私の今の状況は

pikarinと重なる気がしている。

 

pikarinの場合、

突如、頭にイメージが浮かんできたり

言葉にならない感覚がやってきたりするようだ。

しかもそれが長くは続かず

短期記憶も弱いから

その一瞬で消えてしまうものを

覚えて、表現するというステップにたどり着けない。

会話の中でも、消えて忘れてしまうので

他者を遮って思いついた瞬間に話し出す。

「ちょっと待って。」となると、その間に忘れてしまい

そのもどかしさが

自分に対する怒り、

待たせた相手への怒りとなってしまう。

pikarinの場合社会性はあり、場をわきまえることはできるので

他者と言っても専ら家族に対してなのだが。

その分外ではかなりのストレスを抱えていて

家での爆発はどうしても大きくなってしまう。

 

自閉スペクトラム症のネックはコミュニケーションだとつくづく思う。

 

pikarinにとっては

圧倒的に情報量の多い映像の方が

伝達、収集手段としては便利だから親和性があるようだ。

知識を得るのも映像、伝えるのも映像が手っ取り早い。

そういう意味では今の時代は彼にとっては生きやすくなっているともいえる。

 

pikarinが興味を持っていることなど質問すると、

ipadを持ってきて

「これ見ればわかるよ。」という答え。

私としては映像の内容というよりは

pikarinがどんなところに関心があり、

どんなとらえ方をしているのかを知りたいわけなのだが。

そのポイントにも双方のズレを感じる。

 

私はどちらかというと映像は苦手。

情報量が多すぎて疲れてしまう。

何か調べる時にYouTubeを見ていると

分かりやすくて便利だと思うから見ないわけではない。

 

言葉や文字は

絶対的に情報量が凝縮されて少ない分、

内包されている概念の自由度もあるように思う。

行間を読んだり、

短歌や俳句のように文字数が制限されると

その背景にある豊かなイメージの世界は

個人の想像の自由にゆだねられている。

 

ひと言で〝豊かさ〟といっても

情報量の豊かさもあれば、想像の余地のある豊かさもある。

どちらもそれなりによいもの。

自在に使い分けができたらいいな。