仲間外れの犬 ~シュタイナー幼稚園のある日の記録から
pikarin5歳の秋です。
その頃、子供たちは降園後すぐに帰宅せず、
駐車スペース辺りで
大きな岩に登ったり、フェンスの下をくぐったり、
石の塀をよじ登ったりして遊ぶことが多くありました。
pikarinも仲間に入りたいのですが、
みんな活発で行動が素早いので、
年下の子たちにもついて行かれません。
無理なことはしないタイプなので、
私の手を引っ張って
「ママも来て!」となります。
すると、「ぴかりんできないよね。できない子はここを通れないよ。」と
通せんぼされたりします。
別の日にも、ある子から
「ぴかりんできないの?」と言われ、pikarinが黙っていたので、
「もう少し大きくなったらできるようになると思うよ。」と私が答えると、
今度は「ぴかりんお母さんと離れられないの?」と言うので、
「○○ちゃん(その子の名)が一緒に遊んでくれたら大丈夫だと思うよ。」と言うと、
小声で、「一緒に遊びたくない…。」と言っていました。
他の子がうちに遊びに来た時も、
「ぴかりんは幼稚園ですぐママ~、って言うんだよ。」と聞かされ、
シュタイナー幼稚園では大丈夫、
と思っていた私はショックでした。
いつも不安と寂しさの中にいるのは、変わらなかったんだなぁと。
pikarinの好きな一人遊びに、
牧場の馬、羊、牛、豚、犬などの動物の木のおもちゃシリーズあります。
ある時、柵で囲んで、
他の動物たちが犬だけ仲間外れにしていました。
「犬も仲間に入りたいんじゃない?」と私が言うと、
「犬はね、大人たち(人間の)が守ってくれるから大丈夫なの。」と言っていました。
その時は気づきませんでしたが、
今読み返してみると、この犬はpikarin自身を表していると思いました。
そして、人間の大人たちというのは、
先生だったり、お友達のお母さんだったり、
母である私のことを表しているのでしょう。
寂しさの中にも〝大丈夫なの〟と言う言葉の中に、
守られているという感覚があるのを感じます。
子どもは一人ひとり年齢に関係なく、成長の速さが違います。
できることとできないことの差も異なります。
いつまでに○○ができるように、とつい思ってしまいがちですが、
目標を定めるよりも、今の成長を見守りつつ、
終わりのない成長へのステップを
共に歩んでいくことが大切なんですね。