yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

新型コロナ、想定外の入院生活はじまる

pikarin2回目の入院生活。

 

今回の入院は、前回の病棟より新しくきれいでホテルみたい。

窓の外は新緑に包まれた山や木々。

一時親からも離れ、快適な生活が送れそうな予感がした。

前回のような不安もなくかっても心得ていたし、

警察を呼んだ時にはどうしたものかと躊躇したが、

かえってよかったかもしれない、と思えてきた。

 

だが、その予感はすぐに暗転した。

 

新型コロナウィルス感染防止のため面会は全くできない上、

新規の入院患者は初めの2週間は自室から出らない(食事も自室)とのこと。

精神病棟なので部屋は全て個室で、ベッドと小さな机、棚があるだけ。

もちろんTVなどあるわけもなく、

TVは共有スペースのみで時間も限られている。

 

入院当日は夜だったため、

部屋で過ごせるように本やパズル、お絵描き帳、色鉛筆などを

翌日持参する予定だった。

 

ところがすぐに事件発生! 間に合わなかった…。

電話がかかってくること2回。行動制限に対する承認だった。

 

1回目は「部屋から出られません」というルールが守れず、「ガッチャン部屋」へ。

鍵をかけられてしまった。ここまでは前回も経験済み。

 

この時点で、知的遅れのあるpikarinに理解できるように

コロナ対策のことを説明してほしいと看護師さんにお願いした。

なぜダメなのか、病院の考えではどうしようもできないこと、

安倍首相が自粛制限をしている(pikarinは国家権力に従うところがあるので)など。

pikarinの場合軽度の知的障害なので、

一見理解できていないようには思えないところがトラブルを生む。

そこが発達障害だけの理解では難しいところだ。

 

その後またすぐに2回目の電話。

今度はなんと〝拘束する〟と言う…。

何が起こったのかよく分からず、経緯の説明を求めた。

 

初めは自室から出れないことにイラ立ち、

スリッパで扉を激しくたたいていたらしい。

もちろん他の患者さんの迷惑になる。

そのうちトイレに出た際なのか洗面所に水をまき、

床を水浸しにし下の階にまで漏れてしまったというのである!!

 

何でいきなりそこまでひどいことになってしまったのか

いまだ状況がよく呑み込めないのだが、

どちらにせよ拘束は免れないことは理解できた。

 

前回は「ルールを守れない=ガッチャン部屋」は分かっていたのだろうが、

ホールでTVは見れたし、食事も共にできた。

今回は何でボクだけTVも見れず、部屋からも出してもらえないのか、

悪いことしていないのに…という思いだったのだろう。

 

家にいた時もコロナだからと外には行かなかった。

でも映像は見ていた。

病院でも外にいかなければ大丈夫、と勝手に思っていたのかもしれない。

感染防止の意味がよくわからないのだろう。

 

入院当日に遊び道具を持参していれば、

こんなことにはならなかったかもしれない。悔やまれる…。

 

〝拘束〟という言葉はとても堪える。

精神的、身体的苦痛がどれほどのものか。

その後の心理的影響はどうか、一生影を残すかもしれない。

現場として拘束せざる負えない状況というのも理解できる。

(かつて親としてそういう状況に追い込まれたこともあったから)

 

pikarinはなぜ自分をつらい方向に向けてしまうのだろう…。

今までの彼の人生を思うと、

何のために、今世で何をするために生まれてきたのかとつくづく思う。

 

今回は新型コロナで面会ができないため、幸いにして顔を見ずに済む。

都合のいい言い訳だが、悲痛の叫びを無言で訴えている彼の顔を見てしまうと

本人の前で泣くまいと誓っても耐えられなくなってしまう。

 

前回初めての入院の時は、親の私も初めての経験で心の葛藤が続いた。

入院と共に精神安定剤の量が増え、

会う度に目がトロ~ンとなった生気のない彼の顔を見ると、

何でこんな…、入院させてよかったのか…と苦しくなるのだ。

 

今度は拘束。初めての経験。

これが後にどう影響するのかわからない。

pikarinは感情コントロールが限界に達して爆発し、

その報いとして、

無意識のうちに、薬よりも縛られることを選んだのかもしれない。

 

今起こっている現実を、神のみこころと信じて、

全てを神にゆだねるのみである。

そう思えるようになった私は幸い。(ちょっと成長かな)

 

精神病や認知症の方に対する拘束はしてはならない、と思っている。