主、あっこ(抱っこ)ちゃん。
pikarin妊娠時にシュタイナーに再チャレンジし、
子育ての視点からシュタイナー思想を理解しようと、
シュタイナー教育の本を多く読みました。
その中で、シュタイナー幼稚園や小学校では、
ラファエロの「システィーナの聖母子像」の絵が飾られていると知り、
我が家にもポストカードサイズを飾っていました。
全体像ではなく母子部分のアップです。
シュタイナーによると、
1908年「宇宙・地球・人間」の講義で次のように語っています。
「聖母像は治療手段である。
眠るときに聖母像が心魂に余韻を残し、
聖母像を夢に見ると治癒力が発揮される」
エーテル体が調和し、健康な振動がもたらされるというのです。
私は、結婚を機にキリスト者になりましたが、
子どもを教育する上でも、何等か神様とつながりの持てるものが、
視覚的にあった方がよいと思っていました。
我が家なりの家庭祭壇もあります。
こちらもポストカードサイズのイコンと
十字架を設置し、
教会暦に合わせた色の布を敷き、
神聖な場所となるよう心掛けています。
pikarinはよく抱っこを望む子どもでした。
もちろん赤ちゃんのうちは誰でも〝抱っこちゃん〟が当たり前ですが、
歩けるようになっても、
小学生になっても、
中学生になっても(身長が越えてからは逆に母を抱っこしたがる)、
何しろ抱っこが大好きです。
私は幼少時から早い自立を求められ
厳しく育てられたので、
親に「抱っこ!」なんて言えませんでした。
もちろんほかの人にも…。
だからpikarinが抱っこをせがむ度に
甘えている、めんどくさい、拒否したいなど否定的な思いと、
なんでこんなに抱っこちゃんなんだろう?と
不思議に思う気持ちがやってきます。
そんなときに必ず、
両手を高く伸ばして、
ラファエロの聖母子像を指さしながら
「主、あっこ(抱っこ)ちゃん!」と叫ぶのです。
主イエス様だって抱っこしてもらっているよ!
ボクも!
そんな風に聞こえ、拒むわけにはいきません。
いつまで続くのか…と
しぶしぶ甘えさせてきたわけですが、
今思えば、
どうせ抱っこするなら、快く、
「ハイ、抱っこちゃんね~。」と受け入れてあげれば
どんなにかプラスの波動が流れていたでしょう…。
そしてもっと早い抱っこ卒業ができたかも。
〝甘やかしてはいけない〟という
心のブロックがあり、
今のような気づきに至っていなかった
過去の私です。