yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

神様とひとつになるとき

今朝の瞑想で、神と一体になることをイメージしていたら

次の言葉が出てきた。

〝私は主のうちにあり、主が私のうちにおられる〟

新約聖書には、

「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、

わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」

               (ヨハネによる福音書15章20節)

と書かれている。

 

TM瞑想では、マントラは意味のない言葉の方が無心になって集中できると教わり、

個々に伝授されたマントラをひたすら繰り返し唱えるのだが、

今日は自然と出てきた言葉に従うことにした。

 

繰り返し唱えていると、

大きな光が全体に広がりその中の一部に雲のような形が表れ動いている。

大いなる創造主である神様に包み込まれている自分のような感じがする。

次第に、手や足の先の感覚を残し、

体は半分消えていて意識だけになる感覚がやってきた。

 

瞑想を始めたころはよくこのような感覚を体験し、

感激に喜び震えたものだったが、

最近は余計な思考が邪魔をしてなかなかこの感覚に至らなかった。

久しぶりに体験し、神と一体になる喜びで涙があふれてきた。

 

私が神様の内にあり、神様がわたしの内にある…

これこそ至福の体験。

本当は神様はいつ何時もこのようにしてくださっているのに、

現実と向き合い時間に追われている間は

それを忘れてしまっている。感じられないのだ。

瞑想という体験を通して、やっとそれに気づくことができる。

大切な時間である。

 

聖書に忠実に理解するなら、

父なる神の内に子なる神(主イエス)、さらにその内に私という3重構造になっていて、

神と私という2重構造にはなっていないところが大切なポイントである。

そしてさらに、聖霊なる神が私に来られ、

主なる神を自ずと証しするように導かれている。

この構図をイメージしてみると、

どれほど神様が私たちを愛されているかを感じられる。

 

今週21日(木)は昇天日(キリストが天に昇られた日)、

そして31日(日)は聖霊降臨日(聖霊を天から送ってくださった日)である。

まさにタイムリーなありがたい瞑想の時間だった。

 

キリスト者でない方はよくわからない感覚だと思う。

キリスト者であっても、瞑想で私が感じた感覚はよくわからないかもしれないし、

文字通り頭で理解して納得させているかもしれない。

 

〝信じる者は救われる〟というが、

信じたことで一瞬で救われた人もあるだろうし、

信じていると思っているうちにじわじわと救われることを実感し、

真に信じるようになる人もあるだろう。

逆に救われたことで信じるようになった人もいるかもしれない。

身近な人だけでなく、聖書にはこのような例がたくさん出てくる。

 

聖書は〝神のみ言葉〟なので

聖書を深く理解すれば神を知ることができる。

でも読んだだけではよくわからない。

この世にどっぷり浸っていると尚のこと、頭では理解できない。

特にヨハネによる福音書は、感覚でとらえると

その奥深さが感じられ、神の愛、真理が伝わってくる。

とはいえ、一度にすべてはわからない。

自分の成長段階に応じて、読むたびに奥が深まってくるのである。

 

pikarinの言葉とも重なることが時々ある。

そんなことを予感してか、

pikarinの洗礼名は「福音記者ヨハネ」なのだが…。

(ちなみに「福音」とは〝喜ばしい、よい知らせ〟のこと)

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よほど興味がないと挫折してしまう聖書ですが、

スピリチュアルなことに関心のある方は、

ヨハネによる福音書ヨハネの黙示録を読んでみたらいかがでしょう?

どこかでつながるかもしれません。