障害のおはなし~道徳の授業~
pikarinが小学校5年生のことです。
転校してきてまだ慣れていない学校。
しかも普通級にいたのは4年生の3学期のちょこっとで、
5年生からは支援級だったので、大きな行事以外は同学年とは別でした。
5年生に入っての初夏に一泊2日の移動教室があります。
支援級の担任も同行するとはいえ、ちょっと不安が頭をよぎります。
まだ慣れていない子たちとのお泊りです。
それに支援級担任は女性です。(pikarinは男の子)
昼間の行動は予定が組まれているのでそれに従えば問題ないでしょう。
心配なのは宿舎に戻ってからの自由時間や就寝前の時間です。
グループになってトランプしたり、枕投げや押し入れに入ったり、お菓子を食べたり。
大人は経験済ですが、
先生の見ていないところでハチャメチャやるのが想像つきます。
定型発達の子なら一緒に楽しくできるでしょう。
pikarinは…?
ポツンと一人見ているだけ?いじめられたりするかも…?
先生の見ていない時間帯です。心配になってきました。
来年は修学旅行もあります。
そこで支援級の先生に、
pikarinの障害について子どもたちにきちんと説明してもらいたい
と願い申し出ました。
ところが支援級担任は受け付けてくれません。
なぜなのかよくわかりませんでした。
私は、どうしても移動教室前の今、必要なことだと強く感じたので、
今度は学年担任に、
親の私からpikarinの障害について子どもたちに話をする機会を与えてほしい
と伝えました。
学年担任はそれを受けて下さり、道徳の時間を当ててくれました。
私の希望は学年2クラス全員に対してだったのですが、
それは叶わず、籍を置いている1組の生徒だけになりました。
私は学校でPTAの読み聞かせボランティアはしていましたが、
子どもたちの前で話をしたことなどありません。
それに引っ越してきたばかりです。
私自身が子供時代が学校の先生というのが大嫌いでしたから、
子どもたちに何かを教えようと教壇に立つなど考えたこともありませんでした。
小学校5年生ともなると女子はちょっとおませさん。大人びて見えます。
男子の中にはpikarinから名前を聞いていたいじめっ子も数人見えます。
「こいつ、何しゃべるんだ?」って顔をしています。
もちろん原稿は用意しましたが、
ポイントを箇条書きにしたメモ数枚を手に、
みんな一人ひとりに語りかけることを大切に、顔を見て話すことを心がけました。
・なぜこの話をするのか。
pikarinを理解してもらいたいこと、君たちが大人になってハンディのある人と出会った時に共に生きられるように。
・障害って?
見てわかる障害と見てもどこが障害なのかわからないものがあるということ。
・pikarinには自閉スペクトラム症という障害があること
・pikarinの特徴
①話をするのが苦手。話しかけても答えなかったり、無視しているように見えること。
②音に敏感。雷や花火の音が苦手だった頃のこと、雨の日の道路を走る車のシャーと
いう音のこと、救急車やバイクの音のこと。
③友達の中に入っていけない。
④手足を動かすのが苦手で、飛んだり登ったりがみんなと同じようにできない。
他にどんなことを話したのかわすれましたが、
私がクラスの子だとしてpikarinのような子が入ってきたらどんな風に思うかという視点で、また学校生活をイメージしてわかりやすく話したつもりです。
子どもたちはとても真剣に聞いていました。私の方をしっかり見て。
とても純粋で、心から受け入れようとしている気持ちが伝わりました。
いじめっ子たちの反応もそれぞれでしたが、
気まずそうに窓の方を向いている子もいました。正直です。
最後に質問の時間を設けました。
しーんとなったらどうしようかと思いましたが、
驚いたことに反応がすごかったです。
何人もの子が手を挙げました。
「〇〇のことはpikarinは苦手ですか?」とか、
「〇〇の時はどうしてあげたらいいですか?」とか彼らの目線で非常に具体的でした。
子どもたちってすごいな。通じるんだ!
その日はとても嬉しい時間を過ごせました。
支援級の担任はその場にいませんでしたが、
連絡帳に「5年1組の生徒何人か休み時間に支援級に遊びに来てくれた」と報告がありました。
子どもたちの反応も早いですね!
(支援級と5年生の学級は別の棟なのに、です)
実際の移動教室でのエピソードは
相変わらず自分から話さなかったのでよくわからないままです。
でも私にとっては、
同じ学校、地域に住む友達に、いろいろなハンディがある人と共に生きるということを伝えたかったので、とても良い機会になりました。
〝子どもたちってすごい。伝わるんだ!〟
これがとても強く感じられた1日でした。
〝そしてわたしもすごい。pikarinのためならこんなこともやれちゃうんだ!〟
自分に対しても褒めてあげたい自己満足の喜びの1日でした。