ボクが神様のところにいた時に…ね。
pikarinが小学校低学年の頃、
「ボクが神様と一緒にお空にいた時、
ママのこと見ていたんだよ。」
と、話してくれたことがある。
テレビの画面みたいなものがあって、
そこに自分のママの映像が映るらしい。
いろいろなお母さんが出てきて
「この人だ!」って
決めるというのだ。
「パパの映像は?」と聞くと
「パパは出てこないんだよ。」と言っていた。
pikarinが11歳の時に
「かみさまとのやくそく」~胎内記憶を語る子どもたち~
というドキュメンタリー映画を
一緒に見たことがある。
この映画に登場する池川明氏は
産婦人科医で胎内記憶について研究されており、
その記録が映画の中で語られている。
何人もの子どもたちが登場するのだが、
その子たちが数人集まって
ごく自然に、当たり前のことのように
神様と一緒だった時のことを話すシーンが
印象的だった。
やはりテレビ画面が出てきて
雲の上でお母さんを選ぶという点がpikarinと一致していた。
また、滑り台みたいなのがあって
そこを降りていくと
お母さんのところに行くんだと言う。
昨日、久々に中学生のpikarinが
「ボクが神様のところにいた時にね、」
と話し出したので驚いた。
何を話し出すのかと思いきや、
P:「ボク、見ていたんだけど、
神様のところにコンピューターがあってね、
誰かが勝手に操作したんだよ。」
母:「それ誰なの?」と聞くと、
P:「天使にも善い天使と悪い天使がいてね、
悪い天使が勝手にやっちゃったんだ。
だから善いことと悪いことがあるんだよ。」
と答えてくれた。
最近、善と悪について考えていたので
敏感なpikarinが私の心をキャッチしたのだろうか?
pikarinのイメージ、言語では
私に伝えきれないことがたくさんあるのだと思うが、
少しでもイメージを共有、理解したい
と思う母であった。
時に、わけのわからない話、
思い込み?みたいなこともあるが、
とりあえず否定せずに
素直に受け入れてみる…
そうすればもう少しの間は
心を閉ざさずに
現実離れした、
でも実は本当かもしれない話を
pikarinなりの言語で聞かせてくれるかも。
何歳まで
こんな記憶を話してくれるだろうか…。