pikarin不登校の始まり~その⑵
pikarin不登校の始まり~その⑴からのつづきです。
一週間pikarinに付き添って自主参観して見えてきた学校の様子です。(以下)
- 1年生通常学級(男子12、女子3)15名 そのうち支援級が男子2名
- 通常級の中にも発達障害を抱えている子、家庭環境(両親の離婚、他)に問題を抱えている子が多くいる。(特にこの学年は大半が該当する、とのこと)
➔生活の基本ができていない。
- 聞く態度、姿勢(座り方、足を机の上に投げ出すなど)
- 授業中何度も席を立つ。(トイレに行ったまま戻ってこないとか)
- 食事中も立ち歩く。
➜言葉遣い、態度の悪さ
- 「殺す」「死ね」などの言葉をすぐ使う。
- すぐに喧嘩になり、足で蹴飛ばす。
- 先生の言うことに平気で従わない。(ex.「え~、やーだよ。」とか)
~担任の先生との面談での話~
個人個人のレベルの差がありすぎて、一律に注意しにくい状況がある。
注意すると学校に来なくなる可能性がある。
家庭に問題があるため家にいると最悪の状況になることも予測される。
保護者も対応拒否でコンタクトできない状況がある。
改めて見直すと、
とんでもない状況に置かれていたんだ、とビックリする。
小学校1年生だよねぇ。
担任も若い先生ではなくベテランの先生である。
なのに変えることが難しいこの状況。
もちろんその環境下で大丈夫な子もいるが、
今まで静と動の呼吸するような生活リズムの中で、
あたたかさに包まれたシュタイナー幼稚園で過ごしてきたpikarinにとって、
まさに〝なんだここは⁈〟の天地がひっくり返るような世界だったのだろう。
その衝撃に戸惑いながらも一学期間なんとか慣れることに頑張り続け、
疲れ果ててしまったpikarinの姿がそこにはあったのだ。
これも本人があえて選んだ人生なのだろうが、
身近にいても親はなかなか気づけない。
何しろずっと、一学期の間言葉にできず抱えていたのだから。
気持ちをどう伝えてよいのか分からず、
思っていることがうまく言葉にならない、
何を言ったらよいのかわからない、
ただ混乱の内にある…。
自閉症とはコミュニケーションの問題と一言でいってしまうほど簡単なものではない。
彼らの世界に少し触れると、世間がどれほど生きにくい場所か垣間見える。
でも想像でしかなく、感覚としてはわからないことばかり。
シュタイナー治療教育家の山下直樹先生は、
不適応を起こし、周囲が困った子だと感じる時は
その子自身が困っている、「困っているから助けて!」という悲鳴のように感じる
とおっしゃっていました。
〝共に生きる〟とは、出会い、共に過ごしながら、
お互いの感じ方、捉え方を理解し合い成長していく過程なんだなぁと思います。
私はその特別な機会をpikarinによって与えられたということです。
発達障害のお子さんを持つ親御さんはすでに感じていると思いますが、
世間と戦うのではなく、
理解して~の求める気持ちが先行するでもなく、
世間との橋渡しをどのようにするか、
協力機関との関わり、
理解を求める際の説明のあり方、
そんな工夫が必要なんだろうなぁと思います。
言語化されない言語を通訳するような役割でしょうか。
わたしも反省することばかりです。
そうはいってもいろいろある日常。
肉体的精神的に大変です。
感情に振り回されることもあります。
やはり共感が得られるのは同じような経験を持つ親御さん…ですね。