yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

最期まで、あるがままに生きる

その後義父上はめっきり足腰が弱くなり

トイレに行くのも困難になってきてしまった。

一時は入院するしかないとなったのだが

直前に大暴れしてしまいキャンセルに。

入院したところで、コロナという状況下では面会も叶わない。

もともと病院嫌いな人で、

昔は抜け出して帰って来たこともあるという。

幸い入院予定先だった診療所の医師が往診してくれることになった。

 

往診は週一回で

食物もほとんど食べない状態になってきていたため

点滴をすることに。

横になっている義父の様子を見ていると

点滴も煩わしい様子。

訪問看護の看護師が来て、連続3日ほど続けたのだが

針を抜いてしまいそうになるし、

医師が診察しようとしても拒む様子。

 

一応声掛けはするものの、

相手の心の準備を待たずに掛布団をめくる。

訪問看護の看護師が血圧を測ったのに

医師もまた測ろうとする。

「先ほど測っていただきましたが。」と口を挟むと

訪問看護の看護師は、医師の立場を立ててか

「先生は先生でお測りになるので…。」と言う。

義父は嫌がって抵抗しているのに…。

 

静かにそっとしてほしいのだと思う。

やたらと触れられたくないのだと思う。

そんなに長くはない自身の命を感じているのだと思う。

この場に及んで点滴、血圧測定を何が何でもしないといけないのだろうか。

 

傍で義母が義父を怒る。

「お医者さんが来ているんだから暴れないの!」

思わず

「お義母さん、怒らないで!

お義父さんは触られたくないし、静かに寝ていたいだけなんだから。」

と口に出てしまった。

そんなやり取りの後、

医師からこのまま自然な形で見守りますか。点滴の針も危険なので。」

ということで義父の思いが叶えられた。

 

今日また二回目の往診だった。

医師の気配を感じるなり、何をしに来たのかと拒む様子が見られた。

お医者さんも心得てくれ

「お父さんの顔を見に来ただけですよ。」と大きな声で言う。

耳が遠くなっているので大きな声で言ったのだろうと思うが、

これも違うように感じる。

実際に聞こえる音声と、感じることのできる音声は違うように思う。

そんなに大きな声で言わなくても、心で伝えれば聞こえる、

聞こえてなくても相手は感じてくれると思うのである。

要は安心感を伝えればよいのだけれど…。

(ちなみに人間の感覚器官で最後まで残るのは聴覚だという。

昔読んだ「チベット死者の書」にも書かれていたと思う。)

 

点滴はなくなったものの血圧測定はあるし、

脚のむくみやお腹の状態を診ることになる。

点滴の痕は広範囲に内出血しており痛々しかった。

また暴れそうになった。

今度も認知症の義母は

「お義父さん、先生の前でみっともないことしないで!」と言う。

 

今回は医師の方から

「お母さん、怒らないでくださいね。大丈夫ですから。」と。

 

私が訪問していた日中の間、

何度か背中を支えて飲み物をあげた。

ベッドの手摺りにつかまり、身体を自分で支えようとしていた。

水分補給の必要性を先に考えてしまうと

こちらからつい「飲み物は?」と目覚めた時に声掛けしてしまうが

義父にはそれさえ煩わしい。

前回それで失敗したので

今回は要求のあった時だけ即座に対応するようにした。

気持ちが通じて嬉しかったのか、

帰りにそっと手を触れて挨拶したら

眠っていたのに目を開けて、何か言葉を発した。

「気をつけて。」って言っているのよ、と義母が言う。

 

なんだかとても嬉しかった。

こんな体験ができることをありがたく思う。