yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(7)43-49歳 b子どもを通して障害を学ぶ。

ちょうど私の第7周期はpikarinが4~10歳だった。

発達障害と分かったのもこの時期で、

自然との触れ合いの中でできる限りいろんなことを一緒に体験した。

楽しかったと同時に、私達だけみんなと一緒にできない辛さもあった。

 

f:id:hoshinopikarin:20201009163442j:plain

シュタイナー幼稚園に入園し楽しく通えた日々。

シュタイナー学園に入学できず公立小に入学し大変だった日々。

再チャレンジしたシュタイナー学園で予想に反して起こってきた問題の数々。

発達障害の宣告を受け、学校に適応できず転校を繰り返した時期だった。

 

今度は自分のことではなくpikarinのことで試行錯誤だった。

1歳半検診の時、病院では何も言われなかったが

母親の直感で何か他の子と違うのを感じていた。

障害とは思っていなかったが

感覚の過敏さ、発達に何か問題があるように思った。

図書館でたどり着いたそれらしきキーワードは〝感覚統合〟というものだった。

この時とことん追求していればもっと早くに診断が下りたかもしれず

親の対応も違ったかもしれない。

何でも真剣に考えて囚われすぎる自分を変えようと思った時期でもあったので

看護師さん、保育士さんの意見に耳を傾け心配しないようにした。

公立小に入学した1学期のこと、

支援級経験のある担任から病院での発達検査と支援級入級を勧められた。

入学前にも発達検査は受けたことがあったのだが

その時は「あまり心配しなくて大丈夫ですよ。」くらいだった。

言葉通り心配しないようにしていたが

〝学校〟という集団生活が始まった途端、数々の問題が生じてきた。

障害の診断が下りたことについては

それを受け入れるのに抵抗のある親御さんも多くいる。

私の場合は「やっぱりね。早く言ってよ。」という感じだった。

抵抗は全くなかったが、

実際に起こってくる問題の原因がつかめず

どう対応してよいのか全く分からなかった。

Dr.は限られた時間内でこちらの質問に対するアドバイスをくれるが

毎日共に生活しているわけではないから細かいところはわからない。

とりあえず発達障害関係の本とシュタイナー治療教育の本を読んだ。

 

pikarinは知的遅れを伴う自閉スペクトラム症だった。

最初の頃は障害の特徴に始まり、どのような支援が必要かに集中した。

医療関係、教育関係、福祉関係など主催の講演会、研修会にも参加した。

pikarinは特に聴覚過敏だったこともあり、音楽療法も試した。

健常の子を目指したわけではなく、

何らか特性を引き出し得意なことや好きなことを見つけられたらそれでよかった。

だがそういうものも特別なかった。

また少しでも精神的安定が得られればと思った。

 

シュタイナー学園には2年間在籍した。

先生方は本当によくpikarinを感じ、観察し、

その時々に抱えている課題に向き合ってくれた。

おかげでシュタイナー思想を治療教育面からも少しだけ学ぶことができた。

ただ私立だったので親の負担も大きく

最後は親の呼び出し待機も多くなり

pikarinの状態に先生方も対応しきれなくなった。

 

公立に再び転校したが、

何事にも一生懸命になってしまう私は

支援級の先生方よりも知識を得ていたし

日々の実生活の体験から多くを学んでいた。

目の前の子どもを見ずに知識ばかりで理想的な支援教育を掲げていたり、

学校制度の枠に囚われて個々の支援ができない先生方と

対立してしまうこともしばしばあった。

 

いろいろなことを試行錯誤したが

pikarinの精神的な安定は一向に得られず

敬遠していた向精神薬を飲まざるを得ない状況まで問題が起こってきた。

子どもの成長と共に次から次へと

想像もつかないことが起こる。

怪我や事件にならなかったのが不思議なくらいである。

自分でどうにか対処できることでもなく

社会的な機関にも助けを求めたが

状況は変わらず八方ふさがりになっていた。

(個々の事例は「pikarin小学生」などの記事参照)