yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(7)43-49歳 aシュタイナー教育とキリスト者共同体

大学生の頃シュタイナー思想に興味があって何冊か本を手に取った。

「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」「神智学」

「神秘学概論」「自由の哲学」の四大主著であるが

どれも頭の上層を流れていくだけでとても理解できなかった。

 

妊娠時にゆったり本でも読んで過ごそうと思い、

今回教育的アプローチなら理解できるかもしれないと思った。

そんなわけでシュタイナー教育関係の本をたくさん読んだ。

当然のことながらpikarinをシュタイナー幼稚園に入れたいと思うようになった。

引っ越しもうまく運んで巡り合えたのはシュタイナーこども園だった。

f:id:hoshinopikarin:20201003224503j:plain

シュタイナー教育は人間の本質を

霊学的な観点から捉え、それに即した成長を促す教育である。

根底にあるのはシュタイナー思想だ。

だからシュタイナー幼稚園に入れて先生にお任せ…というわけにはいかない。

親が人間の本質の構成要素(物質体、エーテル体、アストラル体、自我)を理解し、

子どもを観察し、

7年周期でその時期にふさわしい保護と成長を促すための働きかけが

必要になってくる。

初めてシュタイナー教育に触れる私には

なかなか理解が及ばないこともあったが、先生や先輩保護者の導きが心強かった。

 

0~7歳は子どもにふさわしい環境を整え、

模倣の時期なので周りの大人が模範となることが大切だった。

子どもが毎日自分の周りに何を見ているのか。

8~14歳は親や教師などの権威が必要な時期だった。

子どもが心から尊敬できるような大人の存在。

親に求められるものは多く、理想には程遠かったが、

シュタイナー教育を求めてくる親御さんたちは

自分の意志を持ち、お互いに支え、高め合いたい人が多かった。

子どもの教育に熱心だったので

親同士でも不適切なことがあれば厳しかったし、

何かあった時はお互いに協力し合った。

出産でお弁当が作れない親のために

その子のお弁当を交代で毎日作ってあげたり、子どもを預け合ったり、

幼稚園や学校を整えるのに

親がみんなで床張りや壁塗りをしたり

丸太を切って遊び道具を作ったり、手仕事したり…。

教会よりもずっと協力し合っている共同体だなぁと感じたほどだった。

 

保護者会は月に一度3時間くらいかけて行われる。

一人ずつ親が子どもの様子を話し、

先生も一人一人の幼稚園や学校での様子を返してくれる。

その子が今向き合っている課題、クラス全体の様子、

この時期のテーマや大切なことなど。

自分の子どもだけでなくすべての子どもが愛おしく、

共に成長を喜べる有意義な時間だった。

子どもだけでなく親の学びの時間もあった。

子どもの12感覚のこと、4つの気質のこと、音や色の体験、

7周期で見るバイオグラフィー、オイリュトミー、

シュタイナー著作の読書会など。

 

またシュタイナー教育では「子どものためのお祈りの言葉」があり

子どもが小さいうちは大人が毎日唱える。

特定の宗教というわけではなく、

本来人間に備わっている宗教的感情を呼び覚ますためである。

自然界の存在(天体、鉱物、植物、動物)はすべて神的な力の現れであり、

人間も魂だけでなく肉体の隅々まで神的な力が現れている。

お祈りの言葉を通して

もともと子どもの内に抱えている霊的な真理を思い出し、

神的な力への感謝の気持ちが自ずと現れるように。

そんなことからシュタイナー教育を通して、キリスト者共同体にも出会った。

キリスト者共同体」はドイツ中心に広まった宗教改新運動であり、

シュタイナー思想を基盤とし狭い教義にとらわれず

キリスト存在を自然、地球規模で捉えている。

私は霊的観点から見たこの教派をもっと学びたく

またシュタイナー教育に関わる親御さんたちにも知ってもらいたかったので

pikarin発案で司祭を自宅に招き、聖書を学ぶ家庭集会や日曜学校を始めた。

宗教とは教えるものではなく、

日々の生活の中で神への感謝が自然と生まれるものだから

祝祭を通して一年の四季の巡りの中での教会行事と子どものための礼拝を

どうしてもやりたかったのである。

別の教派に所属する私が行うのも道理からすればおかしな話だが、

神様の視点から見ればおかしくないはず…と

エネルギー全開、思いを実現させた。

この活動はpikarinがシュタイナー学園を去るまで6年ほど続けた。

クリスマスなどは親子50名以上の参加があった。

(我が所属教会は数人の子どもだけなのに…。)

私たちが去った後も他の親御さんたちが

引き続き活動を支えて下さったことに深い感慨を覚える。

感謝。