yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(3)15-21歳 b人間としての先生

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中学3年の担任は男の先生だった。

私はどうしてもその先生が好きになれなかった。

先生に罪はなく、何かしたわけでもなかった。

見た目が黒縁メガネでうだつの上がらぬ安サラリーマンを彷彿させ、

少し猫背にして背広の前端を両手で交差して左右に引っ張るしぐさが

どうしようもなく嫌悪させた。

人のせいにするのはひどい話だが、

その先生は社会科の公民を担当し

それがまた私の不得意科目であったから

一気に勉強への意欲をなくさせた。

夏休みの親子面談の時、3年になって急に成績が落ちたわけを聞かれた。

「付き合っている男の子でもいるんですか?」と言う。

「成績低下=男の子との付き合い」という

月並みな単純な発想、想像しかできないところには呆れてしまった。

あまりに問い詰めるので

「先生が嫌でやる気が出ないんです。」と面と向かって言いたかったが

さすがにそんなことできるはずもない。

ただでさえ学校が嫌だったのに

担任に対しても嫌な感情が湧き最悪だった。

 

この頃は毎日が嫌で生きているのが辛かった。

なぜそこまで思いつめたのかよくわからないが

周りの大人の価値観に縛られ

また厳しい自由のない学校に縛られ

追い詰められていたのだと思う。

毎晩夜にベランダに出て星を眺め

ここから飛び降りたら死ぬことができるだろうか…

と考えていた。

せいぜい骨折して周囲に余計な迷惑をかけるのがおちであろう。

それにキリスト教の教えで自殺は罪とされていたことが

心に引っかかっていた。

 

辛い1年が過ぎ、公立高校の受験もあきらめ

S女子校であと3年過ごすことになる。

自分でもこのままではいけないと思い

同じ校舎であるものの、高校になってから

再び勉強に力を入れることにした。

分野も広がり古文、日本史、世界史、地理、生物、化学など

学ぶことは楽しかったし、テストでは常に90点以上を目指した。

成績が良いと周りの大人は文句を言わないので安心させることができた。

 

高校1年の時、初めて人間としての先生に出会った。

それまでの私にとっての先生の存在は

〝尊敬できる指導者〟と言うイメージをあてはめていたので

それに見合う人はいなかった。

その先生は修養会での話の時に

一人の人間として等身大の自分自身のことを語ってくれた。

先生の視点ではなく、先輩面するわけでもなく

弱い一人の人間として感じるままを話してくれた。

何のテーマだったか覚えていないが

一人の女性として共感できたような感覚を覚え

先生が少し近くに感じられた。

 

高校3年の時には女性の担任からエコひいきされた。

こんな経験は生まれて初めてで私の中に戸惑いがあった。

今までいつも先生と距離があり慕うこともなかったが、

先生の方も目を掛けてくれるようなこともなかった。

その先生はあからさまだった。

担当教科は英語で、私は特別優秀だったわけでもない。

「息子の嫁にしたいくらい…。」と言われた時には

さすがに冗談でもぞっとした。

なぜそれほどまで気に入ってくれるのか

理由がさっぱりわからなかった。

ただその恩恵はなく(もしかしたら英語の成績を良くしてくれた?)

友達からのいじめ、からかわれをこうむることになった。

 

私にとっての〝先生〟という存在は

私の勝手な思い込みで、理想高くそれを相手に求めてしまうゆえに

現実とのギャップを埋めるのが難しく

やっかいな存在だった。