yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(3)15-21歳 a父と私

私の父は厳しく怖かった。

思ったことを母にも言えなかったが

父にはもっと言えなかった。

私の親友はお父さんと仲の良い子が多く

一緒に〇〇へ行った、△△を買ってもらった、とか

お父さんとのことを聞かされるたびに寂しくなった。

(とは言っても、小学生の頃はバトミントンやトランプ、ボードゲームに付き合ってくれた。本当はこれだけでも十分だったのかもしれない。)

あまりに辛かったので、

ある時「何でこんなに厳しくするのか?」と

単刀直入に聞いてみた。

「自分で何でも出来るようにするため。

 今わからなくても大人になったら感謝することになる。」

という答えだった。

大人になって考えてみたが

確かに何でも自分でやる姿勢、基盤は作られたと思う。

感謝はしているが100%ではないのが正直なところ。

人に頼らない(頼めない)はもちろん、

他者に対しても自分でやるべきと思ったり

出来ない人を見下してしまったり

出来るようになることを相手に要求してしまったりする見方を

身につけてしまったのはマイナスだった。

後からこれを取り払うのにかなりの努力を要した。

 

父から褒めてもらった記憶はほとんどない。

父から褒められたい、認められたい一心で頑張った。

何を頑張ればよいのかわからなかったので

とりあえず勉強を頑張った。

父とは普段会話もできなかったので

ある時から、勉強を教えてもらうことで接点を持とうとした。

理数系が得意の父に数学、物理の問題を教えてもらった。

仕事から帰った夜9時過ぎ、頃合いを見計らって

父の顔色をうかがいつつ1~2問聞くのである。

いつも不機嫌そうな怖い顔をしていたので、聞き方も難しい。

質問の要領を得ておらずに漠然としていたり

どこがどのようにわからないのか、頭でまとめてからでないと

かえって怒られる。

単純に「ここ、教えてぇ~。」とは言えないのだ。

 

甘えは一切できなかった。

年頃の女の子はお父さんとデートし

洋服を買ってもらえたりするのだが、

私は倹約家の父に物をねだることもできなかった。

成人してたった一度だけベージュのスーツを買ってもらった記憶だけである。

外出した帰りに電車やバスでふと眠ってしまうと何度も小突かれた。

はしたないと思うのだろう。

好き嫌いで食べ物を残すことは許されなかった。

ある日ご近所の方がおから煮を持ってきた。

私は他の家の味付けが苦手だったのに加え、

一口食べたおからのパサパサした食感がダメでそれ以上食べられなかった。

そのお皿を前に、食べるまで2時間開放してくれなかった。

途中母が見かねて間に入ってくれたが、

父は頑固で自分が折れることはない。

食べるまでこの状態が続くことはわかっていたが、

嫌なものは嫌で、私も頑固に意地を張った。

怖くてその場から動くこともできず

結局は従うこととなった。

この時初めておからというものを知った。

 

父は躾以外で自分の考えを無理やり押し付けることはなかった。

理由が説明でき、納得できるものであれば選択の自由があった。

しかし私には父の理想や思い、願望が会話をしなくても感じられたので

初めから父の意に沿わないことはなるべくしないようにしていた。

ただ進学や結婚など自分の人生に関わることは

父の思いを尊重しつつ、自分の思いも通しつつ…という

都合のよい妥協案のような中途半端な決断をしてしまった…

と後になって思った。

 

これも後になって気づいたが

私はかなりのファザコンだったようだ。

好きになる男性のタイプは長身細身の頭のよい父のような人だが、

加えて、生真面目な父にないワルな要素も求めていた。

男性とうまく付き合えない劣等感があった私は

この先いろいろ躓くことになった。

 

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私が学んだアートセラピー講座に

男性と女性の「人物画を描く」という課題があった。

その時の私の絵を分析すると

自分の中にある女性性と男性性について、

また両親からの影響が見て取れる。

上手い下手は関係なく

絵は潜在的なものを現わすから不思議だ。