yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

バイオグラフィーワーク(2)8-14歳~a小学校

小学校は楽しくなかった。

勉強が嫌いではなかったが

みんなの前で、手を挙げて発表しなければならないのが

とてつもなく苦痛だった。

自分の答えが間違っていたらと思うと不安だったし、

他からどう見られるか嫌だった。

人から注目される、視線を向けられるのも嫌だった。

恥ずかしくて赤面してしまい、

そのことでからかわれるのも嫌だった。

発表しない子は他にもいたのに

先生からも、母からも

そのことをいつも指摘されるのが苦しかった。

答えがわかっているのに

なぜ言わないのか、と思うのだろう。

学級委員に立候補するように言われるのは

もっと苦しかった。

教育的には、

能力を引き出す、成長を促すことが目的だろうが、

母には授業参観の時の見栄、自己満足もあったと感じていた。

そもそも何で無理やり言わなければならないのか、

私には疑問だった。

私の自由じゃないか…と。

f:id:hoshinopikarin:20200826182749j:plain

 

〝先生〟という存在もまた好きではなかった。

いつも上から見られているようで

思っていることを話せなかった。

いつもとても緊張していて、怖かった。

クラスにさじ君という名字の子がいた。

細くて小さくて弱々しく、すぐ泣いてしまう子だった。

さじ君はある先生から〝スプーン(さじの意)〟と呼ばれ、からかわれた。

ある日さじ君が授業中に外を眺めていると

「スプーン、何か飛んでいるのか?」と言い

その子を抱え窓から飛ばそうとした。

もちろん本気でないのは分かっていたが、

私はさじ君の心が心配で、

なぜこんなことをするのか理解できなかった。

 

 

高学年時の女性の担任の先生は、

進学塾をとても嫌っていて

受験のために通っていた私にきつくあたった。

漢字練習帳を一回やってこなかった時に

教室後ろの石油ストーブの脇の床に座らされ書かされたのは

屈辱的だった。

「学校での勉強をしっかりやれば塾に行く必要はない。」

その主張は納得できたが、

それでは現実の試験問題に対応できないということを

大人の先生に伝えることはとてもできなかった。

ただ言われるままだったことに

たぶん、自分に対して腹が立った。

受験発表合否について、

父から、翌朝自分の口から先生に伝えるように、と言われたので

その通りにしたら、

「昨日のうちに電話で報告すべきです。」と

みんなの前で叱られたのはつらかった。

しかも不合格の報告だった。

 

友達がいたのは幸いだった。

いつも女の子の仲良しが二人いた。

私も含め三人トリオになることが多かった。

時々誰かを仲間外れにすることがあった。

私はなぜか仲間外れにされたり、

いじめられたことはなかった。

高学年になると

女子グループ6人で交換日記をまわし始めた。

今日の出来事、TV番組のこと、

先生や親に言えないこと、

好きな男の子のこと…なんかだったと思う。

6人いると一週間に一度くらいのペースなので、

初めは大学ノート1頁だったのが

一人5~6頁書きまくったりした。

なんでもオープンにできる友達がいたことは幸せだった。

 

ただ、男の子はやっかいだった。

私はなぜか好かれるタイプだったようで

好きでもない男の子から好かれ、

くっつけられるのが嫌だった。

チョッカイ出されるのも嫌。

どう対応してよいかわからなかったし

男の子と話もできなかった。

ある日学校に行くと、私の机に青くて太っちょの芋虫がのっていた。

たいていの虫は外見に似合わず大丈夫なのだが、

芋虫、毛虫の類は心臓が止まりそうなほどダメだった。

今でいう母の〝ママ友〟とその子ども達と

行動を共にすることも多かった。

なぜか男の子であることが多く、

これも私が嫌なことの一つだった。

 

学年が上がるとともに

学校に行くのが嫌になり、

朝の登校班に間に合わず、

一人遅れて行くことが多くなった。

たぶん妹に嫌な思いをさせたと思う。