yasumin日記~霊的成長への道~

発達障害の息子の子育て こころの成長・気づき・発見 ちょっぴりスピリチュアル

瞑想の始まり。

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幼少の時から

神との一致、精神性に惹かれていたので

いつか「瞑想」を日常的にしたいと思っていた。

 

30年ほど前にYOGAを始めたのも、もとは瞑想系のつもりだった。

その当時は道場を探しても怪しさが先に立ち、

今のようにYouTubeなどで手軽に取り入れることもできなかったので

もっぱら書物から学ぶしかなかった。

 

いくつかのマスターの書を読んで実践しようと試みるも

雑念ばかりが浮かんで、集中できない。

無駄なように感じて時間も気になる。

忍耐力のなさに呆れてしまう。

姿勢が辛い。

などなど…。

結局は続かぬままだった。

 

ある時、間脳に興味を持ち「間脳開花」という本を読んだ。

著者の講演会があると知り出かけたのだが、

目的は講演ではなく、ゲスト出演のクリスタルボウル演奏だった。

クリスタルボウルに興味があったのはもちろん、

チラシで見た奏者の根本久子さんに惹かれたのだった。

 

当日お会いして思った通りの雰囲気に思わずCDを購入してしまった。

そういえばクリスタルボウルにいつ頃から、何で惹かれたんだろう…。

その日帰宅して早速聴いてみることにした。

当然のように、結跏趺坐の姿勢で瞑想モードになっていた。

かつては5分と持たなかった瞑想だが、

音楽の力は凄い!

かなりの時間そのままの姿勢で不思議な感覚を味わった。

 

最初の印象は、宇宙空間。

自分が惑星の一つになったような気がして

宇宙空間に存在し、他の惑星と響きあっている…。

空間に浮遊している感じが、何とも言えず心地よかった。

 

もう一つ、身体の感覚。

瞑想しているうちに何も考えなくなると

身体が周りの空間と同化してくる。

境界線が感じられなくなるのだ。

胴体は一体化するのだが、

頭と手首から先、脚は残っている。

(思わずお札を耳に貼り忘れた「耳なし芳一」がイメージされた。)

感覚器官として意識がまだ残っているからなのだろう。

そして、目を開けている時は前方しか意識しないことが多いのに対し

瞑想していると、背後の空間が広がる感じがした。

背後だけではなく、

自分を取り巻く前後左右の空間が広がってくる。

これがエーテル体、アストラル体…などの領域に拡大されていることなんだろうか?

 

こんなわけで、根本久子さんのCDによって

私の瞑想のハードルを一気に飛び越えることができたのだった!

この体験が面白く、次はどんな体験ができるのかと

ますます興味を持つようになった。

 

これと前後して、

修道院での瞑想を中心にキリスト教ヴィパッサナー瞑想

サダナ黙想、ラビリンスメディテーションに参加した。

また30年前から気になっていた「TM瞑想」がどうしても頭から離れないので

これには家族3人で参加した。

(夫と息子は継続していないように思うが、それはそれで。)

今は潜在意識の奥底を見る内観中心の誘導瞑想も試みている。

いろいろなアプローチがあってそれぞれに感じるところがあり面白い。

 

瞑想によって己を知ることになり

自分軸が整い、ブレが少なくなり

神との一致を感じられ、

心の平安と豊かさが得られる。

続けなければというよりも、

良きものが与えられるのでやらずにはいられなくなる。

やらないと自分の状態が悪くなるから。

 

そんなわけで私の願いはいつの間にか叶えられ

日常的に瞑想を取り入れられるようになったのである。

 

 

 

 

新学期スタート!と思っているのは母だけ。

昨日から新学期スタート。

 

夏休み中はそれなりに規則正しく寝起きしていたpikarin。

始業日に限って起きてこない。

起こそうか…、っと思ったがそのままに。

ようやく8時に起きてくると、

P:「なんで起こしてくれなかったの?」

P:「早く準備してよ!」

といきなり怒鳴る。

自分に腹だ立っているのだと思う。

以前は起こすと怒り出していたし、私も朝からトラブルになりたくない。

車で送ってほしいなら

自分の気持ちを伝えればよいのだが、

それができないから

準備していないこちらが悪いような言い方になる。

 

学校に連絡して準備を済ませると

今度は玄関で

P:「ボクの折りたたみ傘がない!どこにあるの?」

いつも決まった場所にしまってあるのだが

自分の部屋のどこかに持って行ってそのままなのだろう。

母:「ママは、知らない。自分でどこかにしまったんでしょ?」

外に出ると霧雨が降っていた。

P:「長い傘を持っていくことにする。」

 

車で送って15分遅刻で学校到着。

 

やれやれ、長い休みも終わって

ベタベタ状態から解放された~!

この日はそのまま放課後等デイサービスに行く予定なので

お昼過ぎに行くと連絡しておいた。

夕方まで一人の時間。

なんという幸せ!最高!

 

お昼過ぎ、気になったのでGPSでpikarinの現在位置を確認。

あれあれ?

放課後等デイサービスを通過しているものの

なぜかバスに乗って自宅に向かっている様子。

携帯にショートメールを送っても返事がない。

 

家に着くと

P:「携帯忘れたから帰って来た。」

何だか調子よさそうで、よく話す。

初日学校へ行けたのはやはり気分が良かったのか?

リュックから折りたたみ傘を2本出して見せて

p:「ボク、傘たくさん持っていた…。」

自分で準備して入れたのをすぐ忘れてしまうんだろうな。

 

中学までは、忘れ物がないようにとか

整理整頓を一緒にして、しまう場所を明確にしたり

何かと関わっていたのだが

やればやるほどコミュニケーションでトラブルになる。

教えてもその通りにやらず、勝手に自分流に変更してしまうpikarin。

それに気分屋。

ああ言えばこう言う、言い訳ばかり、人のせいにするし。

こちらもいい加減疲れたし

自分流でやってみてどういうことになるのか体験してみたら

少しはわかるかも…と思って、こちらもやり方を変えた。

頭では考えられないし(想像ができないらしい)

体験したところで、次の一歩に進むまで時間がものすごくかかる。

どうやったってコミュニケーションは自閉症の苦手分野だから

トラブルも避けられない。

今までは暴力行為につながる恐れもあり

トラブルを避けるために配慮し努力してきたが、

それだけでは周りが疲弊する一方で、本人の成長にもつながらない。

以前より少し安定が見られるようになったので、

トラブルを恐れず

言葉のとらえ違い、思い込み、勘違い、物忘れなど

お互いの言葉や思いに注意を向けることを試みている。

そうはいっても

一方通行だったり

話している途中で話題が変えられたり

途中で席を立ってそのままだったり

怒り出したり

うまくいかないことの方が多いけど

毎日一緒にいる家族だからこそ分かることがあり、できる。

これがお互いの成長なんだろうな。

 

今日も朝8時に起きてきた。

連絡帳を指さして

P:「書かなくていいよ。」

(なんでいつも遠回しな言い方をするんだろう?)

母:「お休みするってこと?どうして?」

P:「コロナが気になって…。鼻がグスグスするし。」

(行きたくないだけなんだろう。放課後等デイサービスは行くらしい。)

 

相変わらずの一進一退の生活は続く。

それでも確実に進んでいることは確か。

 

 

 

 

最期まで、あるがままに生きる

その後義父上はめっきり足腰が弱くなり

トイレに行くのも困難になってきてしまった。

一時は入院するしかないとなったのだが

直前に大暴れしてしまいキャンセルに。

入院したところで、コロナという状況下では面会も叶わない。

もともと病院嫌いな人で、

昔は抜け出して帰って来たこともあるという。

幸い入院予定先だった診療所の医師が往診してくれることになった。

 

往診は週一回で

食物もほとんど食べない状態になってきていたため

点滴をすることに。

横になっている義父の様子を見ていると

点滴も煩わしい様子。

訪問看護の看護師が来て、連続3日ほど続けたのだが

針を抜いてしまいそうになるし、

医師が診察しようとしても拒む様子。

 

一応声掛けはするものの、

相手の心の準備を待たずに掛布団をめくる。

訪問看護の看護師が血圧を測ったのに

医師もまた測ろうとする。

「先ほど測っていただきましたが。」と口を挟むと

訪問看護の看護師は、医師の立場を立ててか

「先生は先生でお測りになるので…。」と言う。

義父は嫌がって抵抗しているのに…。

 

静かにそっとしてほしいのだと思う。

やたらと触れられたくないのだと思う。

そんなに長くはない自身の命を感じているのだと思う。

この場に及んで点滴、血圧測定を何が何でもしないといけないのだろうか。

 

傍で義母が義父を怒る。

「お医者さんが来ているんだから暴れないの!」

思わず

「お義母さん、怒らないで!

お義父さんは触られたくないし、静かに寝ていたいだけなんだから。」

と口に出てしまった。

そんなやり取りの後、

医師からこのまま自然な形で見守りますか。点滴の針も危険なので。」

ということで義父の思いが叶えられた。

 

今日また二回目の往診だった。

医師の気配を感じるなり、何をしに来たのかと拒む様子が見られた。

お医者さんも心得てくれ

「お父さんの顔を見に来ただけですよ。」と大きな声で言う。

耳が遠くなっているので大きな声で言ったのだろうと思うが、

これも違うように感じる。

実際に聞こえる音声と、感じることのできる音声は違うように思う。

そんなに大きな声で言わなくても、心で伝えれば聞こえる、

聞こえてなくても相手は感じてくれると思うのである。

要は安心感を伝えればよいのだけれど…。

(ちなみに人間の感覚器官で最後まで残るのは聴覚だという。

昔読んだ「チベット死者の書」にも書かれていたと思う。)

 

点滴はなくなったものの血圧測定はあるし、

脚のむくみやお腹の状態を診ることになる。

点滴の痕は広範囲に内出血しており痛々しかった。

また暴れそうになった。

今度も認知症の義母は

「お義父さん、先生の前でみっともないことしないで!」と言う。

 

今回は医師の方から

「お母さん、怒らないでくださいね。大丈夫ですから。」と。

 

私が訪問していた日中の間、

何度か背中を支えて飲み物をあげた。

ベッドの手摺りにつかまり、身体を自分で支えようとしていた。

水分補給の必要性を先に考えてしまうと

こちらからつい「飲み物は?」と目覚めた時に声掛けしてしまうが

義父にはそれさえ煩わしい。

前回それで失敗したので

今回は要求のあった時だけ即座に対応するようにした。

気持ちが通じて嬉しかったのか、

帰りにそっと手を触れて挨拶したら

眠っていたのに目を開けて、何か言葉を発した。

「気をつけて。」って言っているのよ、と義母が言う。

 

なんだかとても嬉しかった。

こんな体験ができることをありがたく思う。

 

誕生日の一日

今日は特別な誕生日。

昨年瞑想の中で自立したい自分に気づいてから

一生続けたい仕事として何を求めているのか

自分に問いかけてきた。

 

そしていよいよ始動開始。

そんな特別な誕生日。

 

それを自分主催で両親と祝いたくて食事会を企画したが、

あいにく両親のコロナワクチン接種の時期と重なりキャンセル。

 

大学時代の友人が誕生日を覚えていてくれ

会いに来てくれるはずが、

クリニックの予約と重なっていたことをすっかり忘れ、これまた延期。

 

一人でカフェも苦手な私が

気になっているオーガニックレストランで

一人ランチでもしてみるかと

密かに計画してみたものの

平日、まだ夏休みでもないのに

なぜかpikarinと夫が家にいることに…。

 

家族3人で食事?

とも一瞬思ったが、今回のイメージとはかなり違う。

 

朝の瞑想で

〝母を選んで生まれてきたこと〟がふとやってきて

感謝の気持ちが溢れ、また母親という存在について

母と私、私とpikarinとが重なり深く感じるものがあった。

 

その後facebookには誕生日メッセージが次々と届く。

ありがたいな、としみじみ思っている傍から

最近変わり始めた夫が絶え間なく話しかけてくる。

(以前はこちらが話しかけても「話しかけないで」の一言。)

 

何となく落ち着かないでいたが、

自分のすべきことにリセット。

 

お昼ごろになると

「ご飯作らないの~?」と二人。

誕生日を覚えている様子もない。

作るのも面倒な気分だったのでそのまま作らず。

 

メロンとiceでちょっと休憩。

私:「今日お誕生日なんだけどな~。」

P:「だからボク学校休んだんだ。」

私:「何か関係あるの?」

P:「ママのためにそばにいてあげようと思って。パパもだよね。」

夫:「………。」

 

はぁ~?

純粋に心が美しいのか、口が上手いのかよくわからないpikarin。

何だかんだ後から理由付けして休んでいる気がするのだが。

 

午後はまた仕事に集中。

 

夕方夫が2階から降りてきて

夕食は作ってくれるのかと思いきや

「夜はそーめんとか蕎麦でいいから。」

 

理想と現実という概念をなくし

いろいろなことの良し悪しを

だいぶ判断しなくなりつつある自分、

まだ少し期待する気持ちも残っている自分、

起こっていることがどうであれ

私にとって特別な日であることに変わりはなく、

特別なイベントはなくても

淡々とした日常の中に

喜びや発見があることを楽しめる自分になってきた。

 

これも成長のプロセス。

 

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今日は特別な日。

エンジェルオラクルカードを1枚引く。

出てきたカードは「POWER」

パワーの天使は私たち一人一人の中に

神のパワーが存在することに気づかせてくれる。

なんて力強いメッセージなんでしょう!

幸先いいな~。

 

今日は梅雨明けでもあったし、彩雲も見られたとか。

 

前から決めていたHPの公開日。

いざとなると朝から躊躇してしまったが、

神のパワーの後押しで実行。

後は神様にすべてをゆだねるのみ。

 

私は私。

自分以上に良く見せるのではなく

ありのままの自分でいく。

自分の気持ちをきちんと感じ

人生に対して正直に生きよう。

 

なんかいい日だった!

 

 

 

 

 

 

 

教会はあなたの家なのだから。

先月、個人事業主用の銀行口座を開設するため

予約を取って銀行に行ったのだが

書類に不備があって再度出直すことになってしまった。

出鼻をくじかれた感もあるが

自分の確認ミスだからしかたない。

 

その日はもう一つ次の予定が入っていて

中途半端に時間が空いてしまった。

 

お茶でもすればよいのだが

一人でいるのは好きなくせに

実は一人カフェにいるのがなぜか苦手で。

本屋さんなどのショップはまだ開いていないし…。

 

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そうだ!教会に行こう。

 

ちょうど近くだったので所属教会に行ってみると

扉が開いていて、

あれっ?オルガンの音が…。

 

併設の幼稚園の礼拝が始まる前で

先生が練習をしていたところだった。

 

本当は一人静かに礼拝堂で黙想しようと思ったのだが

これも何かの意味があって?

聖堂でオルガンの音に包まれながら

目を閉じて空間を感じていた。

 

こうやっていつでも迎え入れてくれる場所がある。

私が私でいられる場所。

神様とお話しできる場所。

静かに

柔らかく

時に凛として

私には、いつでも来れる場所があってありがたいな、と

しみじみ感謝の気持ちが溢れてくる。

 

静かに瞑想するだけなら家でもできるが

聖堂という空間は特別である。

教会は「聖霊の宮」と言われる。

神様が遣わした助け主が住まわれる場所。

その空間に身を置くだけで

ある時は母の胎内にいるような感覚を覚え、

またある時は天上界の天使と共に賛美の歌を捧げている感覚を味わう。

目の前の十字架に、磔刑のイエス様を見ることもあれば、

復活して手を差し伸べて下さるイエス様を見ることもある。

 

時間の関係で幼稚園に礼拝には参列できなかったが

朝から豊かな時を過ごすことができ

Happyな気分だった。

 

主日、コロナ渦で自粛が続いていた礼拝が再開された。

何年振りかの信徒が久々に来られ

帰り際に司祭様と話をしていた。

信徒:「朝、仕事の前にでも寄らせていただけたらと思います。」

司祭:「寄らせていただくなんて。いつ来てもいいんですよ。

    教会はあなたの家なのですから。」

 

なんてあたたかい言葉なんだろう。

 

すべての人に伝えたい。

「教会はあなたの家なのですから。」

教会は信徒のものではなく、すべての人に開かれているのです!

 

そういえば、中学の頃pikarinもよく自転車でふらっと来ていたな。

 

ありがたいこと。

先日義父上が倒れ救急搬送されました。

脳梗塞はなく、血管が細くなっている部分の流れが

悪くなっていたためとのこと。

幸い意識はすぐに戻り2泊三日で退院。

みごと生還!

 

病院の医師によると

このまま入院してしまうと

確実に寝たきりになってしまうので

少しでも自宅で生活できた方がよいとの判断らしい。

驚くなかれ、99歳の超高齢。

すごい生命力。

私が行った時は、少し疲れはあったものの

にこやかに微笑んでいました。

 

pikarinのこともあり私は一人先に帰宅。

その後、夫は2~3日泊まって様子を見ることにしました。

さすがに高齢者二人の生活は限界にきていて

いろいろと大変な様子。

今後のことを早急に考える必要が…。

 

そんなこんなで

夕食時にじーじの話をしているとpikarinからこんな言葉が。

p:「ボクが生まれてから17年も生きてくれているんだね。

   それってありがたいことだね。

   本当にありがたいね。」

と、しみじみ。

母:「そうだね。お祖父さんに会ったこともない子もいるもんね。」

私は適切な言葉が見当たらず陳腐な返答。

 

自然に出てきたpikarinのこの言葉に

何とも表現できない感動が走った!

この時の情景を含め、一生忘れられないシーンになりそう。

 

義父上はお金や物をあげて人を喜ばすのが好きな人です。

当然ながらそれを目当てに寄って来る人も多く…。

pikarinの年の離れた従兄姉たちも

その恩恵にあずかり、おもちゃやお小遣いを与えられ放題。

成人した今でもお小遣いをもらいに来るという。

 

pikarinが生まれた頃にはお金は少なくなり、

高齢で、どこか連れて行ってもらうことも

一緒に遊んでもらうこともなく

たまに訪ねた時も、特別話をしたわけでもなく

じーじがテレビを見ている傍らで

一人プラレールで遊んでいた。

 

pikarinにとってじーじの印象ってどんななんだろう。

 

それなのに〝ありがたいね〟というこの言葉。

じーじの存在そのものを感じてなのか、

醸し出す空気感、オーラみたいなものか。

 

生きているだけで、みんなすごいんだ。

ありがたい存在なんだ。

みんなが気づかない大切なことを

ふとした折に教えてくれるpikarin。

 

そんな言葉を自然に表現できるpikarinってすごい!

 

 

 

予定が立てられない。

高校生のpikarinのその後。

今年の4月に特別支援学校に進学したpikarin。

心機一転、

最初の2週間くらいは毎日登校でき、

これで不登校ともおさらば…と思っていたのだが

G.W前あたりから再び怪しくなってきた。

 

「疲れる…。」の毎日。

電車やバス、歩行者の流れをつかむのも苦手で

よくぶつかりそうになるpikarinだから

学校以前にかなりストレスがかかるのだろう。

 

pikarinはなぜ学校に行けないのか、といつも思っていたが

最近は、

他の子どもたちはよく毎日学校に通えるものだ、と

逆に不思議に思えてきた。

 

最近の様子を見ていると

一週間に2~3日ペースで登校できている。

 

朝は規則正しく目覚めるのだが

その後がはっきりしない。

行くのか、行かないのか。

お休みモードかな、と思っていると

家を出る予定時刻の10分前に

突然着替えて準備を始めたりする。

 

予測不能

 

先生との連絡帳、欠席・遅刻の電話など

こちらの対応、心づもりもある。

こちらもイライラしてしまうから

朝7時までに「行く、行かない、どうしたいのか」

自ら意思表示をするように約束させる。

…が、なかなかできない。

 

毎日が疲れるなら、登校する曜日を決めるか?

小学校の時もやっていた時期があった。

日数を減らして、でもある程度の規則性をもって

無理のない範囲で

自分をそれに合わせていくことを提案。

 

ある日

「月水金 行く」というメモ書きを置いて登校した。

カレンダーにもいかない日に大きく✕(バツ)が付いていた。

と書いてありながら

あれっ?その日は火曜日???

帰宅してから

「やっぱり、火木金にいくわ。」

授業の関係なのか何だかよくわからない。

 

やっぱり曜日を決めることはできず

その日の調子というか気分で決めている感じ。

(ちなみに小学校の時はできていた)

pikarinの場合、これは明らかに障害特性ではないな、と思う。

持って生まれた気質的なものだろう。

 

自閉症の特性の中に

こだわりの強さから「一度決めたことを繰り返す」がある。

逆に決められていないとできない、

あるいは決まったことが変更になるとパニックを起こすというケースもある。

 

pikarinの場合、部分的にはあるものの

ほとんどあてはまっていない。

またこの〝部分的に〟というのも結構曲者。

 

結局のところ、曜日を決めるなんてpikarinにとってはナンセンス。

その日の様子で行く、行かないを決めるのが自然体なのかも。

それに伴い、学校への同じ電話を繰り返す私。

これが自然な流れ、当たり前の事と思えれば

自分の中にマイナス感情や抵抗もなくなる。

 

私の中の価値観、基準はpikarinによって変えられ

許容量も増していく。

 

それってある意味

私を〝豊かに〟してくれているってこと?